2017/03/21 (火)
□11:00新富士 養雲寺墓参り 雨中の墓参り。 富士山の麓まで行きながら、富士山拝めず。
1か月ほど前、元の会社総務から電話。 「イオンのH原さんってご存知ですか? (わたしと)連絡を取りたいということでした」と。 亡くなったH田を通じての、学生時代の知り合いだ。 卒業後ジャスコに就職して、今はイオンとなり、子会社の社長をしているはず。 十数年会っていない。
教えられた携帯番号に架電すると、いきなり「○○?」と返ってき、 「なんや、オレ、お前の番号登録しとったわ」やと。 岡山出身なのだが、聞くと、終の棲家を過去の転勤地のひとつである新潟と決め自宅も設けた。 5月にはそちらに引っ込むので、その前に富士のH田の墓参りに行きたいのだが、元の自宅電話は通じない、連絡先を知りたい、という。
H田のことについては、お通夜にいってそのまま、かねがねわたしも気になっていた。 遠く富士山を見るたび、新幹線で通過するたび、一度墓参りにでも、と。 で、「お〜っ、ワシも行くよ。実家にでも聞いてみるわ」。
で、東京にいる彼の次姉に電話してみたが、出ない。 で、富士の実家の兄さんに電話し、墓参りをしたい旨を伝え、お寺を聞き出す。 何のことはない、長姉の嫁ぎ先だった。そういえばそんな話を彼か聞いたことを思いだした。 そして、昨年13回忌をすませたとも。 もう、そんなになるんや。
新富士で待ち合わせてお寺に向かうと、長姉と兄さんが待ってくれていた。 特に日時は告げていなかったのに…。 (後で確認したら、H原が言っていたらしい)
小雨の中、手を合わせ、本堂にお供え。 長姉が、「小さいけど写真を出しておきましたよ」と。 そこには、若いころの元気なH田の笑顔が…。 住職、つまり義理兄も加わり、5人で思い出話をしばし。 わたしの記憶からはすでに飛んでしまっていたが、よみがえってきたなつかしい思い出も。 逆に、東京にいた何年間のことは、彼の兄弟にしてみれば知りたかったことだろう。
行ってよかった。少しは気がすんだ。H原に礼を言う。
|