愛弟子の菊
2008/09/01 (月)

私の菊人生を振り返ると黄金期が2度あったように思える、1度目は23〜33歳の時期、菊を作り初めて2年目から地元の菊花会2ヶ所に籍を置き最高賞を総なめにしていて、12〜13個の特別賞の半数近くを独占していた時期で全菊連の全国大会に出品をしだし東京重陽会にも入会して出品しては最優等を何度か受賞するようになった頃。
2度目は、20数年前で全菊連の支部を立ち上げ副支部長兼大会実行委員長で県大会開催を計画して忙しく走り回り、東京の農林省や文部省などに大臣賞の交付を願い出て何度も上京した時期で地元の菊花連合会の会長もしていて自分の菊の栽培は放っておいて、仲間達のレベルアップのために自宅で沢山の仲間を集めては菊作り研究会という講習会を半月に1度ほどを開催していた時期で、その頃我が家に60キロも遠方から熱心に講習会に参加されていた方が2人いた。

その中の一人の女性の方が県大会で最高賞に輝いた、現在はもう80歳を優に超えていて今尚とても元気で地元の菊花会のお世話をされていてこの方の招きで4〜5年講習会と審査に行っている、今日も午後から講習会でお話しをしてくる。

帰りに、昔講習会に参加していたもう一人の生徒だったSさんのところに顔を出した、毎年何度か紹介している方なのだが、今年の菊はどうした訳か驚くほど背が低い、「どうしたのなぜBナインを掛けたの」と聞くと、「今年から出品しても最高賞はもらえないんだ」と元気がない、10年ほど前に命に関わるような大病を患い、奇跡的に元気になって、50キロほど離れた南相馬市で行われる浜通り菊花展に8回余り出品して「6回も最高賞の県知事賞を独占していればそれは嫌がられるよ」と笑って答えるしかなかった、それにしても草丈が低いので聞くと「二本松の菊花大会では審査員が130センチぐらいのものが好きなんだ」との話、そういえば日記仲間のよもぎもちさんも目指している大会なので聞いて見ると去年も出品して全体の10位以内に入ったとか、それも南相馬市の会の方に運んでもらい自分では花の手入れにも行かなかった花で・・・・・・

菊花会では菊作りの講習の講師をしているそうで、「昔の約束の止め肥や、花肥の大切なことは誰にも教えていないから」と言われ、そういえば、私の家での講習会でこのことは絶対他の方には教えないでくれ、先生は口が軽すぎる」と参加者から言われていた、そのことを覚えていたのだ、それにしても私は今でも口が軽すぎる?誰も真剣に聞いて(見て)いないのに余りにも大切なことを日記に書きすぎるので、誰も信じないようだ。

ニ十数人の参加者の中にはその後、重陽会で最優等や全国大会で壇上に上がった人や特別賞を何回も受賞した人や、2つに分裂した全菊連支部の元支部長、前支部長、現支部長などもいて参加者全員がとても熱心な生徒達だったが、腕より口が達者で中には全菊連の本部の理事にまで出世したものもいるが、口の達者な人ほど腕は余り上達しなかった?(笑)。

その中でもS、さんが、最も腕を上げた弟子の一人のようだ。 

i0 i1 i2 (1) 盆養。

盆上がり曇天が続いたので、電照をしていてその後シェードをしたと言う。
(2) シェードをしている所。
(3) ダルマ。
 
 植える花夢・新たな菊作りに夢中
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