河岸問屋。
2024/02/01 (木)

harenotikumori.gif □10:00〜11:30市民劇場 生涯大学講座「松戸の江戸時代を知る(仮)」

江戸時代の松戸河岸の話。
徳川家康が江戸に入る前の利根川は現在の東京湾に注いでいた、という話はよく聞く話。
度重なる洪水から江戸の町を守るため、また、銚子の鮮魚を江戸に運ぶために、流路を付け替えて現在の利根川にした。
当初は、銚子から鮮魚を載せた船が利根川を上り、関宿から江戸川を回って江戸に運ばれていたが、
木下(きおろし)でいったん荷揚げをして陸路で行徳まで運び、また船に積み換え墨田川経由で日本橋の魚河岸まで運んだ。
この木下―行徳の陸路は現在も木下街道あるいは鮮魚街道の名で残っている。
しかし、このコースは白井と鎌ケ谷で荷の積み替えを強いられたため時間がかかったので、
新たに、布佐(ふさ)―松戸のノンストップコースが開拓され、松戸から船で江戸川を下り行徳・隅田川経由となった。
そのため松戸は河岸問屋が栄えたのだという。その形跡は今も残っている。

 
蘖ひこばえの菜園作業メモ
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