先日の和田勇さんのこと。
2018/02/28 (水)

kumori.gif 今晩から春の嵐というので、急ぎジャガイモの予定畝を造りに【川井農園】へ。
男爵、キタアカリ、インカのめざめ。

先日の和歌山県と明治大学の連携イベント。
http://bunp.47news.jp/event/2018/02/001518.html

今どきの「和田勇」を検索すれば、積水ハウス会長と出てくるが、
この日の和田勇は、日系2世のFred Isamu Wadaの話である。
両親が御坊の出身で、氏も幼少期を数年過ごしたらしい。

それでも、だえよ〜? である。

高杉良の小説『祖国へ、熱き心を - 東京にオリンピックを呼んだ男 -』で、TVドラマにもなったらしいのだが…。
そう、先の東京オリンピックのことである。

1907年、米国ワシントン州べリングハムで日系二世として生まれた和田勇。
4歳からの幼少期を和歌山で暮らし、9歳で再び米国に戻った。
1949年、戦後初めて日本人の全米水泳大会出場が実現。
日本人選手らが渡米した際の宿舎を探していることを知り、自宅を提供、大会出場を支えた。
古橋広之進、橋爪四郎が1位、2位となり、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた大会である。
とくにこの大会は、初の異境、それも戦後すぐ、日本非難が渦巻くロサンゼルスでの大会出場である。
日系2世フレッド・ワダさんの献身が大きな支えであった。

のちに古橋広之進は、初めてテレビを見て驚き、
初めて飲んだコーラやハンバーガーを食べたときの感動≠幾度も話したらしい。
今や飽食の国となった日本が飢えていた時代の話である。

和田勇は、1959年東京オリンピック準備招致委員会委員に選ばれ、
1964年の東京五輪実現に向けて自費で南米各国を回り、協力を要請し、開催に大きく貢献した。
この時の各国を説得した力は、和田勇の優れた交渉力の結果であると讃えている。

東京オリンピックで女子バレーが金メダルを獲ったが、大松博文監督にはメダルがないので、
ニチボー貝塚を支援していた和田さんが作ってあげたとか。

晩年、アメリカの日系人社会における高齢者施設の設立、運営、維持にも従事した。
紀州の偉人である。


購入日   品     名   購入店名 単価×個数合計 備  考
2/7インカのめざめ美瑛選果400400種芋に
2/21根張り鉢×4ユニディ@171×4-14670※※※※※
2/21じゃがいも・男爵、キタアカリ 各1sユニディ311×2-13609種芋
2/28牛糞堆肥25ℓ×3JAとうかつ中央@432×31,296豊作有機
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蘖ひこばえの菜園作業メモ
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