2017/02/13 (月)
ホテルを出て、駅前のJA会館へ。
昭和50年の春、和歌山を出るときもここが出発点。 当時の人もおらず、建物も新しくなっているが、一応のけじめとあいさつに寄る。 5年前、「和歌山へ帰ってこんか? おまんの給料くらい出せるし」と声をかけていただいたお方も、 「6月の改選で終わりや」らしい。この次来てもおらん。
約束の時間ちょうどにRちゃんのお迎え車。 小学校時のS先生を訪ねる。ナビ+あやふやな記憶で自宅へ。 「ここや!」と思った家がピッタンコ。 インターホンを鳴らすと奥さんが迎えてくれた。見覚えのある顔。変わっていない。 先生は歯医者に行ってるが、ぼちぼち戻る時間なので上がって待って、と。 お言葉に甘えて上がり込み、奥さんと小1時間話したころだろうか、先生が戻られる。
わたしのことは、数年前にも訪ねたし、年賀状のやり取りもあるのですぐわかってくれたが、 同行のRちゃんのことは、卒業以来らしく「誰やろ〜?」。 それでも名まえを告げると「あっ! あの元気な子な〜」。 「あんたら39年の卒業よな?」と大きく引き伸ばした卒業写真の額を持ってきた。 飾ってくれているのだろうか…。 「これはだれそれ、この子は足が早かっとな」と一人ひとり覚えている様子には感心する。
当初、きのう会った小学校の同級生の喫茶店で昼飯を、とのRちゃんの誘いであったが、 時間がなくなり素早く食えるメシ屋で昼飯を食い、和歌山駅で降ろしてもらう。 小学校の同窓会を約束して、「またね!」「またな!」でお別れ。
関空で搭乗待ちをしていると、見たような女の子が前を走りまわっている。 「あれっ? 来る時の女の子じゃ?」と振り返ると、あの時の隣に座っていたママが…。 こちらには気づかない様子だし、声をかけると変質者に思われてもな〜、で…。 ここでまた隣の席になればドラマなのだが、ひとつ前の斜めの席。女の子は窓側だった。 やはり、あの時は遠慮してたのか…。
一応、弁護士にも相談できた。六十谷へも行けた。 お寺の坊さんにも会えた。見舞いも行けた。S先生にも会えた。 Rちゃんとも久しぶりに会え、紀州の女友が増えた。
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(3) 悠久の流れ「紀の川」です。 関空へ向かう。
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