2012/08/19 (日)
□高校還暦同窓会 12:00アバローム紀の国 関空18:15ANA
朝飯を食って、時間をもてあまし、ゴク親しいヤツに「何時に行くか?」と問うつもりで電話したら、 「もう、会場にいるよ」ということで、「ほな、すぐ行くわ」。 それにしても、朝からあっついな〜。今朝も蝉がよう鳴いてるし〜。 JR駅から県庁前まで、タクシー代を始末してまたバス利用。まあ、5分おきに出てるしね。 お城の前の出身中学校の裏を通る。懐かしいグランドだ。当時も狭く感じたが、やっぱり狭い。 昨日は空港からのバスで高校を見て、叔父の家へ行く途中で保育所を眺め、今日は中学校。 どことも建物は替わってしまってるが、いつかは訪れてみたいものだ。
「2階やから」というヤツの声にしたがってエスカレーターで昇ると、 受け付け開始前にもかかわらず、人でごった返している。 「お〜っ、○○かぁ?」 「遠くからありがとナ」 「おまえ、だれ?」 「覚えてくれてへんのやろ?」 「あれ、だれや?」 首にぶら下げた名札を目の前にかざし、かざされ、 「なんや、○○かぁ!」てな調子。 42年ぶりの顔に一瞬誰か分からず、名札を見て、18歳の顔が浮かんでくる。 当時の担任の先生が来られて、一瞬、「だれ?」と同級生を思い考えながら、 「いかん、先生やんか」と気づく始末。 「なんや、おまえの方が、なに先生やったかなぁと思うたで〜」。 10歳上だと言うから、当時は27,8歳だったんや。
人見知りが激しく(だれが? わたしが…)、一部の親しい人間以外とはあまり話した記憶がなかったが、 この日はそんな隔たりもなく、だったわ。 ただ、より記憶に残っていて、3年で同じクラスやったと思っていたヤツが違うクラスだったりで、 「何年でいっしょやった?」と確認しあうような場面も…。 そんな調子で、逆に同じクラスやった女性から「○○さんて、何組やったん?」と問いかけられる。 「こらっ、おい」。またまた、名札をかざして「おんなじやろが!」。
3年になる時の春にセンバツに出た年だから、甲子園組が壇上に上がり、 応援団が43年前と同じように大きな声を張り上げる。 先生とも智弁の話になり、「連合軍で戦ったらどうですか?」と水を向けてみた。 「まあ、それは無理な話やろうけど、でもなぁ…」と話を聞いてみると、智弁にはクラブは野球部しかないという。 1学年10人の30人で、中学校の優秀な(野球の)ピッチャーばかり10人を毎年集めるのだという。 専用のグランドに、有名監督を招聘。 「中学生のころの投手は打撃もいい。その10人を採り、残ったのが他校へ行く構図だよ」と。
まだまだ話したいヤツもいっぱいいたが、「ごめん、2次会は失礼して帰るわ」。 「せめて、見送るよ」と玄関まで下りてくれたヤツも。 「ほな、またな!」 「また、が、あるかどうかわからんがナ…」と冗談口をたたきつつ手を振る。
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