2008/09/13 (土)
和歌山へ。
叔父(亡父の弟)から、「話しておきたいことがあるから、連休に帰ってこれないか」と、いうことで帰省。 ちょうど、叔父(亡父の妹の旦那)の1周忌もあり出席する。 父の妹弟は、まだ男2人、妹3人が生存。その連れ合いが3人いる。 いずれも、70歳代、80歳代。 老老介護をしながら、仲良く生きている様子。 だが、叔父の話というのは、老い先短いあとのことだった。
法事の施主となった従兄弟にまつわるエピソードがある。 この従兄弟、信州八ケ岳の某大学農学部を卒業して、Uターンし県の試験場の研究員をしていた。 わたしの仕事の関係で、いっしょにやっていたある人とある日、食事をする機会があった。 わたしが、和歌山出身ということから、 「和歌山といえば、学生時代ずいぶん世話なった同級生がいてね、 あいつがいなかったら、私は卒業できなかったよ」とその人。 「和歌山へ帰って試験場勤めをして、いまはシンビジウムをつくってるよ」。 そこまで聞けば間違いない。 「その人って、○○ちゅうんちゃいます?」。 もちろん、きょとんで「へっ? なんで知ってんの?」。 「わたしの従兄弟ですよ」。 世間は本当に狭いものだ。が、その人は、いまはもういない。
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