2008/02/17 (日)
松戸には、江戸のころ、馬を飼育する牧場や鷹狩場があったらしい。 所々に、牧場の囲いとなっていた堤防の名残りがある。 「牧の原」という地名もある。 明治維新で社会・経済が大きく変化し、江戸には仕事がなくなった武士や農民があふれた。 そこで政府は、人々が生活できるようにと、徳川幕府の牧場だった北総地域の土地を農地に替えた。 明治2年〜4年にかけて、それは行われ、入植の順番に村の名がつけられた。 初富(はつとみ)、二和(ふたわ)、三咲(みさき)、豊四季(とよしき)、 五香(ごこう)、六実(むつみ)、七栄(ななえ)、八街(やちまた)、九美上(くみあげ)、十倉(とくら)、 十余一(とよいち)、十余二(とよふた)と続き、十余三(とよみ)で終わっている。 新しい土地への希望と豊作を願ってつけられた村名なのだそうだ。 わが家も、この中に構えている。 また、周辺には「○○新田」と名のつく地名も多い。
今朝は、比較的、風も穏やかに見えたので朝散歩。 さくら通りを目指すと、どうしても畑に寄ってしまうので逆方向に。 すり鉢をひっくり返したような、雪冠の富士山の頭だけが見える畑の横を通り抜け、足の向くままで。 そしたら、なんと八柱霊園まで行ってしまった。 千葉県松戸市にありながら、「都立八柱霊園」なのである。 参道の両側には墓石屋さんと休憩所がずらっと並んでいる。 「八」がついているこの「八柱」は、8番目かと思っていたら、さにあらず。 開墾地の名称ではなく、明治の中期に8つの村が合併してつけられた名前とのことだ。
夕方になって、グッと冷え込んできた。 風も出てきた。さぶいっ!!
10,315歩 199.0kcal
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