2006/12/08 (金)
太平洋戦争勃発の日。
待ちに待った年末ボーナスが出た。 フルハイビジョン対応のビデオデッキが欲しい、 新しいパソコンが欲しい、デジカメが欲しいと欲しい物だらけだが、 住宅ローン、帰省費用、月々の補填…などと計算してたら、やっぱりだめか、となる。 紙切れだけの明細書よ、だ。 所得税15%、社会保険10%、手元に残るのは75%か。 あ〜ぁ、額面額が手取りだったら…。
昨日の読売新聞の夕刊に、大阪本社執筆の面白いコラムがあった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ 今年は野沢菜誕生250周年という。 1756年、健命寺(野沢温泉村)の8代住職が京都遊学の折、 天王寺蕪の漬物を食べ、その美味に感動し種を持ち帰ったのが起源。 栽培するも、気候・風土の違いで蕪は育たず、葉や茎ばかりが大きく成長した。 が、葉と茎を塩で漬けるとうまい。 以来、野沢菜漬けは名産となる。 寺には採種用の野沢菜畑がある。 24代住職は「暮らしに息づく食文化。原種を連綿と育て続けています」と話す。 驚いたのは、村民が皆、天王寺蕪のことを知っていたこと。 「名物や蕪の中の天王寺」(蕪村)。 江戸初期から明治末期まで大阪名産だった天王寺蕪。 虫害や都市化で姿を消し、地元の大阪では余り知られていない。 が、10年前、野沢菜の祖と知った地元有志が「天王寺蕪の会」を結成。 普及活動の結果、漬物が歯応えよく、甘みがあると好評で、 年間40dが生産されるまでに。 「野沢菜がなければ、復活もなかった。なにわ伝統野菜を見直して欲しい」と言う。 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
とある。知らなかった。 天王寺蕪と野沢菜の関係については、この記事からはどちらともとれるが、 「天王寺蕪は中国から伝わったもので、遺伝子的にも野沢菜とはまったく異なる」 と信州大学農学部の大井美知男教授は言明している。 さらにネットで調べてみた。 「日本最古の和種蕪とされる天王寺蕪切葉と丸葉の特性の異なる2系統が存在し、実際に蘇った天王寺蕪の種を長野に似た気候条件で栽培したところ、多数の野沢菜に酷似した蕪菜が認められた。元来、天王寺蕪の種子そのものが雑ぱくであったことも関係していると思われる。天王寺蕪が野沢菜となったのではないが、天王寺蕪の種が野沢菜を生む要因を有し、そこに長野の気候と食習慣が重なることで、長い栽培歴の中で野沢菜が誕生したと考えるべきであろうという説もある」とある。
しかし、なにわの「天王寺蕪」が信州で「野沢菜」になった、 という説の方が何となくロマンを感じるのは私だけだろうか。
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(1) が野沢菜で奄ェ天王寺蕪。 同じかな?
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