巴錦
2008/05/22 (木)

hare.gif  1609年、加賀2代藩主前田利長が(現在の高岡市を)開町して来年が400年。 高岡菊花会が出来て80年。 

 高岡菊花会では開町400年と菊花会80周年を記念して何かのイベントをやりたいと考えていた。

 以下信州小布施、巴錦保存会資料から引用
 
 江戸時代の昔から「巴錦」は名もなき綺麗な菊花として育てられてきた。

 三代将軍徳川家光の時、参勤交代制度が設けられ後、十一代将軍徳川家斉の頃、各地の大名達は石高に応じた人数を率い江戸城に向かった。
 加賀藩主の前田候は主に北陸街道を利用していた。
 秋には本陣の人々は庭に菊花を植えたりしてお持てなしをした。
 「巴錦」の命名は小布施の村役が本陣に宿泊されている前田候(十二代藩主前田斉廣)に栗落雁と地元に咲いている菊花を添えて献上した。
 その菊花の美しさに感動され未だ名前がついていない事を知り前田候が直々に「巴ノ錦」と名づけた。
 以後小布施の人は「殿さん菊」以降「巴錦」として現代まで大切に育てて来た。

 ある日その巴ノ錦の菊花が葛飾北斎の肉筆画「菊図」に描かれている事が関係者によって分かった。

 以上の事から前田候にもゆかりのある菊花「巴錦」を栽培し大会に花を添える計画が出た。

 会長以下数名で小布施まで出向き保存会の了解をいただき栽培する事になった。

 千輪作り、7本立て、だるま作り、福助作り等々
 私は切花同種5輪組生花?

 巴錦は「宝幸紅蘭」の弁数を少なくしたような花で大会で入賞できるよな姿ではないが数百年間も絶やさず残った花というので一度作って見たくなった。 

i0 i1 (1)  巴錦の苗
(2)  北斎の肉筆画「菊図」に「巴錦」が描かれている。
(3)
 
はまちゃんの菊日記
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