資源の草刈り。卑弥呼の時代か?1800年〜2000年位前の弥生時代の遺跡
2019/11/23 (土)

朝8時から資源の共同草刈り。アジサイ植栽の周辺。
今日は自分が出た。
25人位出ていた。

法人の年末調整の用紙の入った大封筒を
関係者に配った。来ていないKIYOさんとUHさんは
後で配る。NHさんは勤め先でも出すので
ダブり防止で受け取らなかった。
10時終了。

その後、近くの海岸で弥生時代(1800年〜2000年くらい
前だそうだ。卑弥呼の時代か?)の遺跡の
現地説明会に行った。50人位集まっていた。
管玉や土器や鉄器などのそこから出てきた
発掘物の展示もしていた。
市役所の担当者が説明した。
近くで以前行った工事の時は500〜600個の
石棺が出たそうだ。今回は35個出たそうだ。
発掘時、石棺の上部は平たい何枚もの
石でフタがされていたそうだ。
石棺は近くを掘ればまだまだいくらでも
出てくるみたいだ。この石棺の数だけみても
当時はかなりの人々がこの地域に定住していたみたいだ。
すぐ近くは遠浅の海だし、食用の魚や貝類も当時は豊富に
簡単にとれたに違いない。
またこれだけまとまった石棺数は日本でも
他に類をみないといえるのではないか。
石棺の中に仕切りがあるのが数個あるが
その目的がわからないそうだ。親子かも?
中から人骨が出たのもあるが、大半は中には
何もなかったそうだ。中まで砂に埋まっていたそうだ。
説明は1時間くらいで終了した。

周辺には京都郡(みやこぐん)の地名があるが
「みやこ」と名前がついているからには何らかの当時の
政治や経済の中心地を示しているのではないか。
また周辺にある地名の豊津(とよつ)、豊前(ぶぜん)
、豊後(ぶんご)の「とよ」がはいった地名も卑弥呼
の後継者である台与(とよ)の名が残ったとも考えられる。

法人の作業日報が残り少なくなっていたので
120枚印刷して倉庫に行き、机の上に置いてきた。

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ごーやの菜園作業 北九州 グリーン☆ファーム
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