2019/01/14 (月)
* shimaさんのおばあちゃんが行かれたそうです うちは2日早い29日に数え99歳でした 百寿までいかなかったのは万事控えめに生きたあの人らしいと皆で言い合いました
11月27日に掛かりつけの近所の医院で炎症の数値が高いからと入院の指図を受け、 病院嫌いの母はしぶしぶ入院、
薬石効あって12月の初旬には炎症反応も落ち着き、主治医より説明があるというので弟Uと参じると、 「脱水状態にあるが病は治癒しているのでこれ以上の処置は病院としては無い これ以後の選択肢は4つ 1、家にて看取り 2、胃瘻 または、鼻から栄養を流し込む 3、病院内の看取り部屋に移動して点滴生活 4、施設に入る
「おばあちゃんの場合、胃瘻や経管栄養はかわいそうやから考えんとこ」患者の側に立って考えてくれる主治医です
それで、家に帰れば毎日点滴3本、しかしこれで命を繋ぐということではないらしい あくまでも体力勝負 「点滴をしなければ あとどれぐらい・・・・?」と弟U 「2〜3日です」と主治医
きょうだいの間では最期は自然に、という取り決めをしていたので、 「しかたありません」と言おうとしたワタシ 間髪を入れず弟Uが 「一日一本でもいいので点滴してやってください 2〜3日は短すぎる」
ということで、水一滴口にしなくなった母は17日に退院 後は、毎日訪看さんの点滴と週一の往診を受けることになりました
アカン、おかあちゃんは年内もたん・・・・ 病院で次に我々が直ちにとった行動は、メモを片手に電話をとる セレモニーホールの営業は年内いつまで?、年明けはいつからか 役場の受付は? 火葬場の営業は?
「お姉ちゃんがそこに居てる おまはんらには見えませんのか? そこにいてるのに」 母は家に帰ると落ち着いて元の穏やかな顔になり、去年の5月に102歳でいった仲良しの姉の姿を ときどき確認するようになりました そうして、今年のセレモニーホール営業の最終日に間に合うように 静かに旅立っていきました
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