無題
2010/11/18 (木)

私が思うこと

それぞれの立場や環境が違えば、同じ出来事が起こっても
とらえ方、感じ方が全く違う。
そこに、人ぞれぞれの価値観があり、生まれ育ってきた環境があり、
現在の自分の生活があり、家族があり、責任問題、金銭問題も絡んでくる。

相手の立場から見るとそう思わざるをえないのだろうなぁ。
そう捉えるという事は、過去に似たような経験があったのかもなぁ。

そう考えながら相手を見ていくと、自分と違う考えでもうなずける事がある。

しかし、どうしてもうなずけない事も多々ある。

今回のこの家族の話で、家族が延命を望まなくても、
それを実行に移すという事が、どれだけ大変な事なのか、
すごく良くわかった気がする。。
話の流れだけ見ていると、すごく家族は非人情で、
自分の親なのに、よくもそんなに冷たくできるものだと思いがちだけど、
家族からしたらとても勇気のある行動だったのではないだろうか。

周りの人たちに責められるように言われ、
すごく辛かっただろうに、延命はしないという決意を貫かれている事には
敬意を表したい。

「これでは本当に生きているといえるのか。」
そう言われる家族の言葉は飾る事も無く、本心だと思う。
家族が荷物を取りに来られたとき、
言葉だけ聞いていると、まだ生きているのに冷たいなぁって思うかもしれないけど、
実はちょっと感動して、聞きながら家族の前で涙ぐんでしまった。

「辛いけど、お母様もわかってくれていると思います。」

そのおばあちゃん、私がお風呂に入れる事が多かった。
じーーーっと私の顔を見て、「ううーーー。ううーーーー。」と、うなっていた。
「もういいから楽にして欲しい」
って言っているような気がしてならなかった。

毎日毎日、お尻に出来た床ずれを処置され、便が出なければお腹を押され、
薬を飲まされ、むせても口に栄養を流し込まれ、裸にされて洗われ、
苦しい姿勢で長時間放置されていた。

介護者誰もが、「こうなってまで生きたくないよねー。」って言っていた。

それなのに、延命をしないと家族が言うと、
「なぜ胃に穴を開けて栄養入れないの?」
「せめて点滴だけでもすればいいのに。」
「鼻から栄養だけでも入れればいいのに。」
「家族、冷たいよねー。」

と、ほとんどの介護者、看護士、医師が言い出した。

自分はこうなりたくないのに、なぜ延命拒否を冷たいというのだろう?
あまりに皆が言うので、自分の意見は言えなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日、この利用者さん、病院で亡くなりました。
肺炎が原因との事。
しかし、肺炎は完全に治って心臓も肺も丈夫だと聞いたばかりだった。
そして、家族の拒否も通らず、鼻からの栄養摂取を試す事になったはずなのに、肺炎で急死。
これは、あくまで推測だけど、鼻からの栄養摂取による誤嚥性肺炎による窒息死なんじゃないだろうか。
だったら、食べる事を拒否していたのだし、
口を少し湿らせるだけにして苦しまずに自然と死なせてあげればよかったのだ。

別の利用者さんも先週亡くなりました。
この方は胃に穴を開けて栄養を摂る「胃ろう」の手術をし、その直後感染症にかかって病院で亡くなりました。
この人だって同じ事が言える。
「胃ろう」を作る処置の後、それが原因で亡くなった方はここ2年間で同じフロアで2人目。
一人目の方は胃ろう手術後、苦しんで苦しんで、お腹がいたい、苦しいと訴え、血を吐きながら施設で亡くなった。
胃ろう手術さえしなければ、もっと楽に死ねただろうに。

それは結果論だろうと言われてしまえばそうかもしれないけど。

日本は尊厳死をなぜ認めないのだろうか・・・

 
yuriの菜園・手作り生活
[ホームに戻る] [今日の日記へ] [この日の日記へ]