2005/04/11 (月)
息子達の通った保育園に 「すげーうんまい実がなる木」があった。 グミのように渋くなくて、 サクランボの赤ちゃんのような可愛い赤い実なんだと。
その実は、たいそう美味しかったようで、 「狙ってるんだけど、いつも子供たちに先を越されちゃって」と保母さん達も本気で悔しがった。 これこれ、この「本気で悔しがる大人たち」に、子供と向き合うことの本物を教えてもらったんだ。
この実は食べられる、と教えてくれるのは年長のにいちゃんだ。 美味しいから食べてみてごらん、なんて大人の誘導ではない。 先生達も、毎年「おいしいねえ」と一緒になってうっとり味わう。
夕陽は美しいです。なんて文章で教えてしまう大人が多いけど、 隣の子の顔まで赤く染まるような夕陽の中で、 「うわぁ〜」と子供と一緒に感動してくれる保育のおかげで 子供たちは、感性を磨き、自分の目や耳や心を信じられるようになった。
熟れない実には手を出さない賢さも、 オレはきのう食べたから、今日はオマエ食べろよ、と分け合うやさしさも、 季節を心待ちにする気持ちも 桜桃(ユスラウメ)の老木に教えてもらった。(こう思わせる、プロの保育だ)
ボール投げしていて、折ってしまったと 息子が枝を手にしてお迎えを待っていたのは、もう12〜3年も前のことだ。 家に持って帰って植木鉢に挿し木した。 保育園はその後建て替えをしたので、残念なことにユスラウメの木はなくなってしまった。 我が家の庭に根付いたこの木だけが、古い記憶を受け継いでいるのかもね。
花が咲くたび、実が生るたびに、 息子達の幼い姿と、 一つ一つに意味のあった、暖かい保育園の9年間を思い出すんだ。
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(1) なかなか大きくならない。 落葉低木ってんだ。
(2) 上から撮るから 写真はきれい。
桜もこうやって撮りたいのぅ。
(3) ぢぶん的には、懐の大きな木に思える。 懐かしさに包まれるからね。
んだから、写真3枚奮発。笑
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