愛のない結婚よりも愛だけの結婚が破綻する理由
2015/11/14 (土)

結婚生活を永く続けるために一番大事なものって何でしょうね。

若いとやっぱり「それはやはり愛でしょ」と答える人が多いのでしょうか。

結婚する人はこれだけ少なくなっているのに、離婚件数は右肩成長を続けています。
これは何を物語ってるのでしょうか。

僕はこのデータを見ていると、苦労してやっとの思いで入った会社に、数年もしないうちに辞めてしまう
若者の就職事情とかぶって見えます。

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※厚生労働省のHPより抜粋

いまさら前回の朝ドラ「花子とアン」の話で恐縮ですが。

若い男と会うために、家を出ようとする蓮子を嘉納伝助が引き留める場面でこんなやりとりがありました。

「あなたは私のどこを愛して結婚したのですか?」と問い詰めた蓮子に対して、

伝助は「それは、お前の家柄と、その顔たい!」

と啖呵を切るのです。しびれましたよ。

「それはお前の優しさだよ」などと言えばくそがっかりしたところですが、
そんな綺麗ごとではなく、男として正直な気持ちを堂々と言い放った潔さがとってもカッコよいと思いました。

結局、蓮子はそこに愛はない事を確信し、愛のある若い男の元へ走って添い遂げるわけですが、

ドラマではこのように往々にして純粋な愛こそがあたかも素晴らしいものだと描かれることが多いのです。

「愛のない奴隷のような結婚生活はこりごりだ!」「愛のある自由な暮らしがしたい!」

昔は結婚相手を自由に選べない風潮があったからなおさらそういう思いは強かったのでしょう。

ドラマなどでは、愛だけで結ばれた結婚が最高のゴールであり、その一番いい場面で瞬間凍結されてるのがほとんどです。

だからその幸せのテンションが未来永劫続くものだと刷り込まれたまま結婚する人が後を絶ちません。

そりゃ、確かに愛のない結婚生活はつらいけど、愛だけの結婚生活も、実はしんどく不自由な暮らしなのではないかと思います。

結婚というのは、その相手と一生添い遂げる(つもり)のいわば男女間の契約制度です。
その事をあらためて再認識する必要があるのではないでしょうか。

たとえば、ある新車を購入するという売買契約にたとえるとわかりやすいかなと思います。

客の立場として、契約をしたものの、希望の車が、
本当に納車されるのか信用しきれないので、絶えず電話やメールで確認を入れて、常に「大丈夫?間違いない?」、「ちゃんとやってるよね?」と言わなければならない営業と、一度約束すれば、納車まであなた任せで安心という営業とでは、安心感が違いませんか。

営業の立場でも、いつ気が変わるか不安で「本当に買ってくれるんですか?」「色、グレード変更ないですね。」「金額これで間違いないですか?」
などと何度も確認をいれないといけない客と、そうでない客ではストレスが全く違います。

このように、結婚も契約のひとつと考えれば、愛の確認は厳密にいうと不要なのです。

極端に言えば、そういう確認を端折るために結婚という契約をしたのだという考え方もできますよね。

では、なぜ人は愛を確認し合うのか?

それは愉しいからです。恋人同士が「愛してる?」
「愛しているよ」と繰り返し確認するのは、その問いかけと応答自体が愉しいからなんですね。

しかし、恋愛という局面ではこれはとても有効ですが、こと結婚において、こういったもの、つまり愛を基盤にするととたんに不安定になります。

実体のない愛を推し量るために、100%愛し合っているかどうかを、毎日確認しないと関係が成り立たないのは、人間にとって、とてもストレスフルな状態といえるのではないでしょうか。。

少しでも愛の兆候が微弱になると、「愛が足りない!」という不満や要求がつきつけられるんですから。

そうなると、目的が愉しみから、検閲のような抑圧的なものに変わっていき、淡々とした契約の確認作業になってしまう。

契約したのに、何度も同じことを確認してくる客、いちいち細かいことを確認しないと本当に希望通りの車を納めてくれるのか不安な営業。ね、どちらも鬱陶しいでしょ?

男女の惚れたはれたはどんなに燃え上っても、4年で消滅するといいます。
これは生理学的な真理です。
メールやLINEが普及した現代ではこの3分の1くらいでしょう。

ということは、

「愛している?」「愛しているよ。」だけで繋がっているような夫婦は確実に4年未満で別れるということがわかります。

その証拠に、愛の言葉を伝え合うことで有名なアメリカの去年の離婚率は世界2位です。
日本はそれでも13位です。

ただ、日本もアメリカ的な価値観を取り入れていく事で、今後離婚率はますます増えていくんでしょうね。

 
yossiの家庭菜園作業メモ
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