思い悩むことなかれ
2008/07/14 (月)

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珍しいことに落ち込む。
目や胸のお肉が、ではなくて、キモチが。
心の底がいつものように浮上してこない。


告別式に参列。
一度もお会いしたことのない方だけれど、
血縁かつ、親戚縁の深い方。
祖母の妹さんではあるが、もう少し入り組んでいる。

かつて ―昭和30年代ぐらいまでのことだろうか― この辺でも、
知り合いをたどって結婚したり
その知り合いの知り合いを通じて助け合ったりしていたから、
関係を説明し始めると、ややこしいことこの上ない。

ややこしすぎるから、皆、おじさん、おばさんと呼んで、
誰がどういう人なのか、詳しい関係が分からなくなり、
でもまあ、それでちょうどいい感じの付き合いになっていたのだと思う。

百をあと数年での大往生。
寝たきりの期間も長かったけれど最近までお話ができたそうだ。

私の祖母は、今の私の年で亡くなっている。
8人の子供を残して癌だったそうだ。
戦後すぐで、写真など撮る余裕などなかったのだろう。
祖母の写真は一枚もない。私は祖母の顔を全く知らない。
「おばあさまの分まで妹さんは長生きされたのですね」と仏壇にお線香をたき、お参りして出かけた。

こじんまりとしたよいお式だった。
看取ったごく近い方々のみの静かな式。
遺影のお写真と私の祖母は似ているのだろうか。
父や叔父叔母を生み育ててあっという間に逝ってしまった人の顔を
想像してしまう。

私なりのご供養ができたらと、お焼香を終えても退出せずに着席して、
初七日法要の読経が終わるまで、法要に参列させていただいた。
ちょっとしかお包みしなかったことも、気になっていて…という
よこしまな思いもあったが、
<家>とは何ぞやという解けない問い、抜け出せない沼を
お経の響く中でぼんやりと思ってみたかったのかもしれない。


私はいつの間にか、<家>をしょいこんでしまい、
この10年ほどの間に、数え切れないほどの法事に参列してきた。
死はどうしても避けられないことであり、皆、いずれその道を
通るんだなあと自然に思えるようになるほどの数だ。もちろん、
あくまで以前と比べて死が自然なことに思える…という程度の理解だけれど。

ところが。
今日は「じゃあこれから、どう生きたらいいのか」ということが
やたらに心に重くのしかかってくる感じなのだ。
しばらく頭の中がパニック。私にいったい何ができるというのか。
車を運転していたせいもあるけれど、どう生きるかっていっても…と
キモチが重くなるばかり。もう実際に若くないし、
立派なこともいまさらできそうにないし、
中途半端のカタマリみたいな私がこれからいったい
何をすればいいというのか…

具体的でない問いは、心を重くするばかりだ。

しばらくして。
やめやめと思った。
「大きなことから考えないことだよ、あんた」という声がした。

そうだね、そうだよね!と思ったとたん、
楽しくニコニコ生きていられたら
もうそれだけで十二分じゃないの、という思いがパッと私の中に
花開くように広がった。

私の楽しさがなんとなく、人を明るくしたり、
私のちょっと風変わりなとこが、人の何かをくすぐったり。
それでいいじゃない。何にもできないなんて思うのはバカだ。
そんな風に思うのは驕りというものだ。
・・・・でもそれって、何に対する驕りか?? 
上手くいえないけれど、とにかく、
生きているということは、もうそれだけで、ものすごいことだから。


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最高31.4/最低21.7




 
手のひら菜園 
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