無題
2011/03/15 (火)

午後1時、残り少ないガソリンを気にしながら出勤。私の机は誰かが片付けてくれていた。この非常事態にもかかわらずくだらない会議をしていた。今後の見通しもなにもなく、出勤できる人だけ出勤すればいいという指示。ガソリンもなく鉄道も動かず代替のバスもない。食料が尽きたら実家に帰ればいい。そのためのガソリンだけはなんとか残しておかなければならない。

帰宅し給水を受ける。今度の水はなんとか飲めそうだ。冷たい雨が降ってきた。雨どいをはずしためる。わずかな雨だが、あっというまにペール一派になった。暗くなると何もできなくなるので早めの夕食。そして6時には布団にもぐりこむ。

ラジオで原発の状況に聞き入る。推進派の御用学者の解説など聞きたくもない。官邸の声は悲鳴にも聞こえる。福島原発は最も古い最も危険な原発だったはずだ。反原発運動の正しさをこのような形でしか証明できなかったことに悔しさを感じるが、あとは祈るしかない。

8時、ケータイが鳴った。一番心配していたミウラチャンからだ。「生きてたよ」。思わず涙がこぼれてきた。
彼の職場=私の前任地は石巻市渡波。いっさい報道されなかった場所だ。長浜海岸からわずか50m。最も危険な場所だ。トシチャン、ヤッサンらとともにひたすら山のほうに逃げたという。ここまできたら大丈夫だと思ったら、「津波が来た、逃げろ」という大きな声。さらに奥まで逃げたという。

そして先輩の孝ちゃん。築80年の古い家に住んでいる。なんとか逃げ出し無事だという。1階部分はつぶれかけているという。

二人の無事が確認され安心したが余震で眠れない。

 
テンメイ農園便り
[ホームに戻る] [今日の日記へ] [この日の日記へ]