2006/04/11 (火)
農園とは関係ないのですが、ちょっと古い話で恐縮。 実は、耳かきの話である。 あれは3年前、私は、職場で日経新聞を読んでいた。その中でふと目にとまった記事があった。 「日本一高い耳かき」 なんでも耳かき作り一筋二十八年、父子二代にわたる専門職人が手作業で一本一本丹精に作るもので、そのなかでもスス竹製は一本2980円もするという。 「なにかのついでに耳かきを作る人はいても、耳かきしか作らないのは日本中で僕だけ。自信がなければこれに人生をかけることはできません」 「一本のいい耳かきで、幸せな人生を送りませんか」 私は無性に欲しくなった。露店のある巣鴨のとげぬき地蔵へと出かけた。年輩者の原宿と言われ、平日でもごったがえす通りの1番奥、本尊のまん前にその店はあった。 しかし、欲しい商品は売り切れで、後日郵送するという。アルバイトらしい店員の言葉を信じ、金を払って届くのを待つことにした。三月下旬頃だということだったが、商品は来なかった。 四月に入り、1通の手紙が来た。差出人には、(耳かき職人)馬木健一の娘と書かれてあり、父が三月中旬、とげぬき地蔵で耳書き制作中に脳溢血で倒れ、大学病院で入院加療中だという。作りかけていた耳かきは今、祖父母や妹、娘など家族総出で仕上げているという。そんなわけでもう少し待ってほしいとということだった。 病気快復を願いつつ、「耳かき」を気長に待っていたが、六月二十五日、手紙と耳かきが届いた。手紙には耳かき職人馬木健一氏が死去したこと、この耳かきは手作りゆえ失敗を重ねながら、家族で力を合わせて仕上げたことがつづられていた。 たかが耳かき、されど耳かき。 私の手許に届いたその「日本一の耳かき」は、耳かき職人の形見の品として、その後大切に使わせてもらっている。 この時期になると、耳かきをするたびに思い出すのである。
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