無題
2016/03/11 (金)


5年前の日記より

3月11日
今日は明日から始まる公民館祭りの準備のため9時に公民館へ。同僚とともに参加している書道塾もこの祭りに参加する。会場となる3階へパネルを運び、会員とともに展示を終えた。それぞれの作品を褒め称え、係の分担を確認し、みんなで成功を祈りながら昼食をとって出勤した。本県では9日に入試が終わり、10日が採点日。今日は入試委員会が選考会議の資料作りなどに追われていた。2時46分、私は雑用を終え、ちょうどコーヒーを入れようとしていたときだった。「地震だと」誰かが叫んだ。かなり強い。私は本棚とパソコンを押さえていた。一瞬収まったかと思ったら下から突き上げるような激しい揺れ。後ろの机から書類やら何やらが私の背中に吹っ飛んできた。そして横に大きく揺れる。もう立っていられない。いったい何分揺れ続いていたのだろう。私たちは何度も何度も大きな地震を経験してきたが、それをはるかに上回る烈しく強くそして長い地震だった。これが予想されていた宮城県沖地震なのか。
地震もおさまり外の駐車場に退避した。余震もすごかったらしいが外にいるとあまり感じない。というよりずっと揺れ続けていた。すぐに避難所作りがはじまった。地域の人たちが非難してくる。武道場に畳を敷きストーブを運ぶ。たまたま定時制の給食がパンだったので、牛乳とともに配布する。
雪が降ってきた。寒い。車の中で暖をとっているとなんと大津波警報。6mの津波が押し寄せてくる可能性があるという。「(石巻の)親父たち大丈夫かなあ」と同僚が言う。「どの辺?」、「○○高校の前」、「あそこなら大丈夫でしょう」。この時までは会話もまだ楽観的だった。
6時過ぎ、校長から帰られる人は帰っていいという指示が出た。他はなんの指示も出ない。市内からの通勤者や帰られなくなった人たちが避難所の世話をし続けたということを後になって知った。7時ごろ帰宅すると避難命令がでていた。なんと津波が押し寄せてくるからだという。「馬鹿な」。私の家は海から30キロも離れている。ここまでくるはずはないと思いながらも指定された中学校へ行くと、そこはもうすでにいっぱいになっていた。地区の集会所へ移動すると、なんとここはパイプいす。これでは休めないので車の中に泊まることにした。
まだガソリンに余裕があったので、車内を暖めながら車載のテレビを見る。ナビの画面であり画質も悪いが、被害の様子が映し出されている。想像を絶する津波だ。石巻の友人・知人、教え子たちは無事だろうか。何よりも女川原発は大丈夫なのだろうか。そして仙台の様子が映し出される。息子夫婦のアパートの近くで火災が発生している。心配だが携帯電話がぜんぜんつながらない。二人で不安な夜をすごす。


 
桂沢楽園農園日記
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