その涙は
2004/06/23 (水)

明け方。目覚めると雨。天気予報では言われてなかった雨。やる気満々だったのにぃ〜。
二度寝。朝寝坊。午後から晴れたが用事が入りタイミングを逃して畑には行けず。

みえこおばちゃんは私の大叔母、おじいさんの妹。
うちに来てここは暑いねえ、部屋を温めよるかね、という。
それはね、みえこおばちゃんが冬のセーターをしっかりと着こんでいるから。アルツハイマーなのです。
おばあさんと一緒にみえこおばちゃんの家(うちの隣の隣)に夏の服を探しにいく。
部屋の中はおばあさんにとっては許せないくらいに散らかっている。私にとってはまぁこれもありか、みえこおばちゃんにとっては全く問題なし、な程度に。
夏服はどこにしまわれたのか見つけられないのでうちのお母さんのもう入らない服を持ってくる。
おばあさんがみえこおばちゃんに着替えるようにいい、掃除を始める。
みえこおばちゃんは今日はあんまり人の世話になりたくない日、動きたくない日みたい。明らかに嫌がっている。喜こぶ(喜んでみせる)日もあるけど。
おばあさんは見なかった。掃除をを手伝いながらみえこおばちゃんが涙をぬぐっているのを。
うれし涙じゃない。せつない情けない悔しい涙(たぶんね。)
自分でもいろんなことを忘れてしまったりちょっと違ったことしてるのが分かるときもある。なるべく人の世話になりたくないという気も奥底にはきっとある。
もうくたびれた、億劫になったがよ、と二人になったときこそっと私に言う。自分で働いて自分でこの家も立てたけどもう、と。
みえこおばちゃん、つい何年か前80歳近くまで洋裁の仕事をしていたのだ。時間はかかるがとてもきっちりとした仕事で熱烈なお得意様もいた。
疲れて仕事を辞めてからいっきに呆けはじめたみたい。あんなにきれいな服を作った人が今は自分の身なりもかまわなくなった。そのことを哀れに思う?
哀れがる人もいるが哀れがらなくともよいとも思うのだ。
おそらく掃除や炊事は今それほど大事じゃないのだ、おばちゃんにとって。だけど床が見えないほどじゃないしご飯は自分で炊く。
一日三回うちの隣の海産物屋に魚のひものや雑魚を買いにいく(まとめて買うことはない。何故ならいっぺんにお金を使うのはいかんと思っているから)。
おばあさん家やうちや近所から時々おかずが来る。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋ですぐ手の届く範囲に全てのものをおき、寝ながら好きなテレビを見て過ごす生活。今一番の快適空間なんじゃないかな。
そこへ入ってゆくタイミングって難しい。
全く入らないわけにはどうしてもいかない。嫌がることでもしなきゃいけないこともあるんだな。

涼しい服を着てさっぱりしたおばちゃんは脱いだセーターを見て「まあ、なんでいままでこんなもの着ちょったかねえ」と言っていた。

夕方、多分お礼のつもりでアイスを持って来てくれた。
が来た時にはそのことを忘れて「まあ、涼しいけんこれ食べたや」そして同じ話を20回くらいしているうちに私のことも少し忘れた。

《本日のお写真》
近頃よく庭に来る、オハグロトンボ。

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ばじるんぺんの菜園作業メモ
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