2004/03/04 (木)
もうかなり前の話。 知り合いの写真館のおじさんがおじいさんに年を聞き、当時は84歳だったかそう答えると、 「そりゃいかん!生き過ぎちょる。もう死なないかん」 と大真面目な顔で言ったそうだ。 言われたおじいさんも後で話を聞いた私もぷっと吹き出した。 そういう人っている。その人の前に禁句なんてない。何を言っても許されるような。 人を笑わせるその人本人は入退院を繰り返しとても辛い状況にいたという。
おばあさん、インフルエンザの特効薬が効いたか朝には平熱、いつもどおりのしゃっきりさが戻ってきた。 入れ替わるようにおじいさんの呼吸困難がひどくなり病院へ。ぜんそくだそうだ。 おばあさんに倒れられたら自分がしっかりしなければというプレッシャーと不安とで息がつまったのだろう。 息がしにくくなるともうこのまま死ぬんじゃないかという恐怖と不安でますます喘息がひどくなる。 そういうときおばあさんは「おおげさに、また始まった」といわんばかりにため息つくような冷たい態度。 これがまたいけないのだ。 本人はほんとにほんとほんとに苦しくてこわいのだから。
心配されたり世話をやいてもらったりするのが好きなおじいさん。 おばあさんが弱ったとき自分がされるとうれしいことをいろいろしてあげようとするのだが今まで何でも一人でやってきてプライドも高いおばあさんはそれをうっとおしがるのだ。正反対な二人。 一番いけないのはおじいさんが感情をコントロールできなくなっておばあさんを怒ったり突き飛ばしたりすること。細かい世話なんてやかなくても怒るのをやめるだけでいいのに。 それを叔母に涙ながらに厳しく怒られ、おじいさんがぽつり。 「生き過ぎた」 なんともいえない笑い顔。
おばあさんを踏みつけにしながらもおばあさんなしでは生きられないおじいさん、おじいさんを苦々しく思いながらも決して見捨てておけず尽くしに尽くすおばあさん。 おじいさんとおばあさんの関係にしても他のことでも思うことは喜劇って悲劇の中にあるのだなっていうこと。おなじものなのかもしれないっていうこと。
死はもう遠いものではない。ごく近くまわり中に溢れている。 それでもやっぱり遠くもあるらしい。今年米寿のおじいさんはミカン狩りをする為にミカンの種を蒔く。 おばあさんが病院いくときに「夜中までパチンコしたことは○○(担当医の名)先生には絶対に言うたらいかん。」と口止めしていたおじいさん、さっきまでぜいぜいいってたぜんそくがおさまったと思ったら、「また治ったらパチンコに行かないかんねぇー」 懲りてない。 年配の人が両親もあわせると9人、まわりにいる。「あたしゃもう呆けてきたけんね、よ・ろ・し・くぅ〜」ってな調子で。「がんばります〜」と私。
明日朝から大阪へ出発。
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