父、病院へ
2004/01/27 (火)

■父、病院へ

父、1ヶ月ごとの検診のため母と四国を離れ、病院へゆく。
前々回の経過の良さに比べ前回は回復が思ったより遅いと担当の先生に言われ少し落ち込んでいた父。夕べは、この調子なら先生もかなり治ってきたというはずって独り言を言っていた。自分や私たちに言いきかせるように。

それにしても医学の発達ってすごい。今回の父のことでの実感。
もともと糖尿ぎみの父は足の血管がつまって血流が滞り、足指が腐りかけてこのままでは足を切断せざるを得ない状況にまでなっていた。本人も痛みに耐えかねて切ったほうがましだと言いだすし。
もともと糖尿の家系で、もう故人となった大叔父も足を切断したことがあったからああ、きたかって感じだった。本人も周りも。

だけど、当初は足指だけの切断だと本人思ってたのがもっと太ももの方から切ることになりそうだと聞いて愕然、あきらめるのはやるだけやってからだと思い直し、入院していた病院からの紹介で県外へ転院。そこで最新の治療を受けさせてもらう。自分自身の腕の血液から血管を作る単核細胞を取り出してそれを足に注射して新たな血管を生まれさせようっつー試みだ。…そんなことってできるんか@@ 脊髄から液を取り出す方法はあるらしいって聞いたけど末梢血からというのはその病院でも第一号の例らしく正直ドキドキものだった。
その他血流をよくする点滴にバイパス手術、血管内の洗浄、いろいろてんこ盛りにやってもらっての退院。
8月の半ばから10月の終わりまで短いようでとっても長い治療の日々だった。

術後、これまでは薬で抑えていた痛みが消え、じゅくじゅくの傷になってた足指も乾き皮がはがれてだんだん普通の爪や皮膚が現れ始める。私たちにすれば死んだ指がまた生えてきたような感じだった。
今回のことで普通の何気ない暮らしの有難さを身をもって実感し医者の先生はじめ周りの人間に大いに感謝していた父。家に帰れることをほんとに喜んでた父。

だった。が、喉元過ぎれば熱さを忘れたか、その後の生活態度が改まっていない。とにかく歩いて衰えた筋力を取り戻したり、第二の心臓である足の裏を刺激して血流を良くしないといけない、血液サラサラになるような玉ネギやトマトなどの野菜をうんと食べないといけない。
のに。歩きに行くといっては出かける父を母が見にいったところほとんど歩かず、立ち止まって双眼鏡で川のカモとか見ていたらしい。味噌汁の具の野菜は食べなくていいおまけだとでも思っているらしく何度言っても汁だけすするし。足をあっためないといけないのに風呂嫌いであまりお湯につかろうとしなかったし。タバコこそやめたもののフクリュウエンたっぷりのパチンコ屋で何時間も同じ姿勢で座るし。
人間って懲りない生き物なのねーー。もっと歩け野菜食べろと口うるさく怒る私や母に向かって「人のことばっかり言うけど、お前らこそ歩け、その体のぶよぶよ肉はブタ肉じゃないか」と逆切れ気味に言う父。「どんなに頑張ってもニンゲンにはブタ肉はつかーーん!」と言い返す私たち…。お馬鹿な会話だぁ。以来うちと親戚の間でブタ肉っていう言葉がはやっている。

もちろん回復はしていて欲しいけど、ちっとは医者の先生に怒られて来いーと思ってしまう私であった。なんならもう一回麻酔ナシで50本もの注射を足につきたててもらうか?そう、前の時はよっぽど痛みに強いと思われたのか何しろ第一号の手術でわかんなかったのか麻酔ナシでやられちゃったのだ。あまりの痛さにちょっと気がふれた父は終了後、大きな声で「わーーーーはっはっはーーー」と笑ってしまったらしい。後日、あの治療は麻酔ナシでは無理ですよ、と先生に訴えた父であった。

前回、直りが遅いからもう一回やりますか、麻酔なしで…と、先生に嫌がらされていた。わはは。

早く、うまい野菜を作らねば!父でも思わず食べたくなるような。


改築のための水周りをみにくる水道屋を待っていて今日は畑にいけそうにない。んもーーいつ来るんだーー。

 
ばじるんぺんの菜園作業メモ
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