尾道〜三原
2012/05/16 (水)

O君に広島駅まで送ってもらって再び新幹線で新尾道に帰ってきた。昼に三原の叔母を訪ねる約束をして、尾道のウォーターフロントを歩いて少しだけ写真を撮ってきた。いつもの乾物店を訪ねてお土産品も調達した。
叔母宅へ移動中新しい道の駅ができていたので立ち寄る。三原市街を見渡す高台にあって、駄洒落ではなく見晴らしは最高。5月の陽光を浴びながら、しばし瀬戸内を眺めてから叔母宅へ。

何か用事があるとのことだったが、一人暮らしの叔母は四方山話がしたかっただけのようだ。時間をかけて用意してくれたお昼を頂きながら、もっぱら聞き役に徹する。この年になって初めて聞く父や母の昔のエピソードが面白い。沢山いた父の弟妹たちもこの叔母とひとりの叔父だけになってしまった。この先何度この叔母に会うことができるだろうか、と少しナーバスな気持ちになりながら、辞去する。

実家に戻って、やり残していた庭木の剪定。多分2年以上鋏があてられることもなかったのだろうという状態の松や梅なので、かなり大胆に切り落としてやった。

夕刻、実家の田圃の耕作を委託している農業生産法人の懇親会に呼ばれた。40年以上も会っていなかった幼なじみなど15人ほど。半数が婦人部の方たちと聞いていたので、一眼に望遠ズームにブラケットやストロボをわざとらしくつけて参加。「今日は美人が集まるいうけえ、モデル撮影のつもりで来たんじゃけど」と言うための小道具のつもりだったが、我ながらあざとい。それでも農村で働く人たちのアップの写真を何枚も撮らせて頂いた。
高校卒業後すぐに上京して、これまでの間、この村への帰属意識は遠のいていくばかりで、両親を亡くした時には、還るべき故郷はこれでなくなってしまったのだと思っていた。それにもかかわらず歓待し、接してもらった。昔話に興じ、携帯で兄弟や友人を呼び出して話もさせてもらった。誘われたときは「東京の話が聞きたい」ということだったが、それは単にお世辞の入った誘い文句だったようで、都会で疲れた同郷人を励ましてやろうということだったのかも知れないと思っている。

i0 i1 (1) 尾道のヨット専用桟橋
(2) 三原市にある道の駅から因島方向を望む
(3)
 
縦振屋精兵衛菜園残日録
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