芝西久保巴町
2007/11/15 (木)

週刊文春の連載コラムの中で小林信彦氏が映画「三丁目の夕日」に触れ、他の方の引用だが、原作の舞台は「芝西久保巴町」だと述べておられた。映画で見る限り、間近の東京タワーを斜め左前方に見る坂道で都電が通る通りは桜田通りだと思われる。ややカーブした内側を東方向に折れたところが夕日町三丁目ということになっているが、その当たりは現在の神谷町駅付近のように思われ、芝西久保巴町とはややはずれる。
社会に出て20年近く虎ノ門、琴平町、芝西久保明舟町、葵町、芝西久保桜川町、葺手町、芝西久保巴町、城山町、神谷町、愛宕町、田村町、佐久間町周辺が仕事場だった。会社は芝西久保桜川町にあった。このあたり地名はすべて虎ノ門、愛宕町、西新橋に変わった。
土手に桜の咲く川「桜川」が流れる町だから桜川町、琴平神社がある琴平町、屋敷町だった城山町など地名にその地域の特徴があった町も、地名の変更とともにただの東京の一画に変わってしまったと、昔の仲間もいう。
巨大なビルやマンションが無秩序に建ち並んで、どんなに大きな建物でもランドマークにはなり得ない。六本木ヒルズでさえ、東京ミッドタウンでさえ、多くの高層ビルの中のひとつでしかない。東京タワーが50年近くも東京のシンボルであり続けたことを思うと、明らかに東京は変質してしまったのだと思う。
先日日比谷に行くと三信ビルが解体されていた。アールデコを取り入れた優れたデザインのビルがまたひとつ消えていく。耐用年数もあるから一概に保存すべきだとはいわない。古い建物を保存するより現代技術で100年残る建物を作る方が意義深い、という建築家の意見も理解できなくもない。
ただあの映画を見た後だからだろうか、どうしても懐古趣味になってしまうのだ。

 
縦振屋精兵衛菜園残日録
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