法事
2006/07/15 (土)

母の17回忌、父の13回忌、祖母の追善法要。あまりキリのいいタイミングではないが、ここ数年で父の兄弟の数が残り少なくなってきたので、元気なうちにやろうということになった。
梅雨も明けないのに30度を軽く超える真夏日。母の葬儀の日を思い出す。仏壇で3人の法要を終え、家のすぐそばにある墓所にもお参りをして、無事終わった。
和尚はようやく40代になったばかりの人だが、年齢を感じさせないなかなかの人格者である。いつもはすぐにお経に取りかかるのに、今日はいきなり法話かと思ったら、どうもご自身の行く末に変化があったらしく、そのいきさつを話し始められた。
お寺は地域ではかなりの名刹なのだが、和尚は次男なので、今の寺の住職になる訳にはいかない。行く行くは他寺の跡を継ぐということになる。それが本人への打診もないまま継ぐ寺が決められた、という話だった。修行を終え、初めて過去帳に書いた名前が父の名前だった。自分にも考えがあるので、このままその流れに乗ってしまうことになるかどうかは、今は何とも言えないが、父の死からの12年間を振り返らざるを得ない日々が続いているのだという。はからずもお坊さんの煩悩を聞いてしまった気がした。
真情を吐露してしまった和尚は、法要を終えていつも以上に饒舌だった。広島風お好み焼きには強い自説があるようで、三原の町のお好み焼き屋情報は話としてもなかなか面白かった。

一息ついて、新幹線で帰ってきた。

i0 i1 (1) 墓前法要
(2) 早朝の田舎。実家の前の景色。
一見昔と変わらない風景のように見えるが、実はまったく違う景色になってしまった。かつてこの周辺の山はすべてが赤松林だったが、松食い虫のせいで一本残らず立ち枯れ、雑木林になってしまった。また土地改良整備事業と称して、水田の謂わば区画整理が行われて、道路の位置も田圃の形も変わってしまった。その結果肥沃な田圃は痩せ、決して大規模とはいえない中途半端な大きさの田圃が並ぶ。減歩された分をを効率で取り戻しているとは思えない、出来の悪い稲が育っている。
道路は拡幅して舗装され、かつて魚を追いかけた小川や川は直線のコンクリートで両岸を覆われている。
正面の山の中腹は中国自動車道が横断している。
故郷を捨ててしまった人間が差し出がましいことを言うべきではないし、その資格もないことはよく承知をしている。いま私の故郷は、故郷にいて眼前にはない。既に心の中にしかそれはないのだ、と思わざるを得ない。
(3)
 
縦振屋精兵衛菜園残日録
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