2005/01/28 (金)
私達はお互い一緒に生活をしていなかったので、あまり実感が無く、今もまだ居るような気がするが 寮のおばさん(住み込み)は自分の部屋の上が兄の部屋で、毎朝起きた様子や 帰ってきた様子を足音で感じ生活していたとか、きっと寂しい思いをされてると思う。
会社の同じ部署の方たちも、毎日一緒に過していた、でかいのが急に居なくなって 寂しいだろうなぁ、今もお茶の時間には兄の机にコーヒーを入れてくれてるのだと… 私達は平常の生活を送っていれば、京都に兄は居ると思えて、亡くなった事など 感じる事は無い、目の前に遺骨があってもそれが兄とは感じられない。 まだまだ寂しいとか悲しいとは感じられない日々を過している。
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