京都6日目
2005/01/19 (水)

何度か血圧が下がりかけるが、その度に持ち直し「なかなか頑張るなぁ〜」と言ったりして…
3人ともそんな会話で、心の整理をつけていたのかも…
悪口も言っていた、聞こえているのか、血圧が下がりドキドキする度に「まだまだ」と持ち堪える。
でも、次第に上がっても、下がり始めの数字には戻らず、徐々に下がってきてる。

弟が疲れて居眠りを始めた頃(3時頃)、伯母達が交代してくれた。
(ばあちゃんと一番上の伯母はまだ寝ている)
2時間ほど待合室の長いすに横になるが、あまり眠れない。

5時過ぎからもっちゃんと二人で交代して病室に…弟は熟睡していて起きそうにない。
血圧はもう50くらいになっている。
血圧を上げる薬の流量も少し下げているようだ…
言葉が途切れ二人でモニターを見つめていると、少しずつ血圧が下がって来る。
弟を起こし、マーちゃんにも連絡、コウヘイと来てと。
血圧は20を切り出した…

7:30頃、マーちゃんとコウヘイが来た。
病室にはばあちゃん・弟夫婦・私達3人と伯母3人。
コウヘイ達が到着して間もなく、血圧の数字がモニターから消えた。
みんなモニターとお兄ちゃんの顔を交互に見ている。
しばらくすると心拍の数字も消えた…当直医が臨終を告げた、午前7時43分

41年と3ヶ月余りの人生か…
楽しかった?苦しかった?いい人生だった?
倒れてから意識はないまま、何も語らずに逝ってしまった。

誰も大きな声で泣く事もなく、静かな最期だった。
この5日間でみんなそれぞれに気持ちの整理もしていた、ばあちゃんもしっかりしてる。
私と弟は今から忙しくなると覚悟する、ばあちゃんに代わってやる事がたくさんあるから。
泣く時間も余裕も無いと。


葬儀は実家ではなく京都でする事に、会社の方に葬儀社を紹介していただく。
会社から近く、京都駅からも近いということでK社に決める、会社の割引もあるそうだ。
お昼までに、葬儀社の方が迎えに来てくれて、皆で斎場の方へ移動する、会社の方々も一緒に行き
会社関係の事と手伝いをして頂き、諸々の準備を始める。

昨日は友引だったせいか、最初に行ったホールは今晩はお通夜が出来ないそうだ。
葬儀屋さんは明日お通夜のつもりだったらしいが、今晩お通夜をしたかったので
違うホールに移動する事になる、関西では大きな葬儀社らしく、京都市内にも数箇所ホールがあり
今度のホールは京都駅のすぐ近くで、新しく大きなホールだった、変更して良かったみたいだ。

移動までの間に、式の内容、お坊さんの手配(田舎から来て頂く事に)や、親戚への連絡
写真がないので(広島へ帰ればコウヘイと撮ったのがあるはず、でも無理だ)
会社の方へ相談すると、社員証のデジカメ画像があると言うのでお願いする。
ばあちゃんや伯母さん達には、お風呂に入ったり休憩するようにホテルへ連れて行く。
私達も弟達と交代で、ホテルへ帰りシャワー&着替えをして引き返すと
棺に移すと言うのでみんなで手伝う、コウヘイも手伝ってくれて「おじちゃん硬いね」って…

駅前のホールに移動する途中、会社の方の要請で、会社の前を通る事に…
会社の方々が道まで出てお別れをして下さる、100人以上は居たのでは…
お兄ちゃん見えてる、会社の前を通ってるよ…もしかして、まだ魂はオフィスに居るのかな?
そんな事をふと思う。

それにしても大きな(規模の)会社だなぁ。
入院中は組合関係の方々多く、今お手伝いしてくださってるのは職場の方や、総務の方?
名刺も名前も顔もゴチャゴチャ、何がなんだか、オフィスだって駅近辺だけでも
何箇所もある、さすが元公社だと驚くばかりだ。

何時頃だったろ、ホールに着いてからは、徐々に祭壇が作られて行く。
葬儀社の担当の方と、話を進めるうちに、偶然にも広島出身の方で、しかも今私達が住んでいる
団地にも住んでいたんだと判り、たまたま選んだだけなのに縁を感じる。
ホールも結果的には新しく綺麗で大きなホールになったし、しかも京都駅から徒歩1〜2分と近い
色々な事が良い方に回るので、何かに導かれているそんな気がする。

お通夜は7時から、6時にはお坊さんを田舎から従兄弟がお連れしてくれる。
すぐに戒名とその意味を教えていただき、葬儀社の方へ渡し、お通夜の準備にかかる。

会場では会社の方が受付や案内など、お手伝いしてくださるので助かる。
明日は来られないだろう会社関係の方が多数参列してくださっている。
人望と言うよりは組織力かなとも思うが、同じ職場の方々は目を腫らしながら
受付をしてくださっている、ありがたいことだと感謝するばかりだ。

お式も終り、親類やお手伝いしてくださった方々と食事をとり、コウヘイは神戸から来てくれた
お兄さん達(ミオちゃんサエちゃんも着てくれた)と遊んで、ここ数日の鬱積を晴らしてる。
広島のジイジとバアバのコウヘイをみてくれて、本当に助かった。
病院や寮に詰めている間、ほとんどコウヘイをかまって遣れなかったからなぁ。

従兄弟とお坊さんにはホテルに帰っていただき、明日に備えていただく。
田舎組みの伯母達とばあちゃん、広島のジイジ達とコウヘイもホテルへ
コウヘイはジイジ達と一緒に泊まってもらう事に、ばあちゃんと伯母たちは一緒に
休んでもらう事にして、私とマーちゃん、弟夫婦で夜伽をする事にする。
私も弟夫婦も夕べからほとんど寝ていない、でも私たちがしなければ…
途中は交代で仮眠も取ったが、あまり眠れなかった。

起きている間はお兄ちゃんの思い出話…
怖がりだった事や、短気だった事とか、あまり良い話が出てこない。
でも長男として、必要以上に気を張りすぎての事が多く、田舎でなければ
もっとのびのび育ち、こんな性格にもならず、こんな病気にもならずに済んだのでは
なんて思ったり、でも考えてももうどうし様も無い事ばかり…
時々、悪口ばっかり言うなって起きてこんかな?なんて言いながら朝になる。


 
peaceの徒然ベランダ菜園日記
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