京都1日目
2005/01/14 (金)

マーちゃんは2連休で今日も家で過す。
コウヘイは保育園、私は仕事をしている。

午前10:40頃
京都の○○Tの人から電話、兄が仕事中に会社で倒れ、近くの京都第一赤十字病院へ
運び込まれたので、家族にすぐに来て欲しいと…
広島からでは時間がかかる、まずは尼崎の弟に連絡を入れるが携帯が繋がらない。
親類に連絡を取ったりしながら、泊まれるように準備をするが、親類もなかなか
すぐに行ってもらえそうな人がつかまらない。
その間にも会社の人から何度も連絡が入るが、この時はそれ程深刻とは捉えていなかった。

とにかく行くしかないようなので、私だけ行く事にして、マーちゃんに広島駅まで
送ってもらい、午後1時の新幹線に乗る。
電車を待つホームでもっちゃん(義妹)と連絡がとれてすぐに京都に向かってくれる事に。
京都に着くまでの間も、連絡が入り、従兄弟達も向かってくれる事に。

2:45京都着
駅には会社の人が迎えに来てくれ「似てますね」と、すぐに探し出してくれたので
スムーズに病院まで行く事が出来た。
病院ではもっちゃんと従兄弟が3人(宮津・宝塚・京都)が来てくれていた。
会社の人達も数人詰めていて、医師からの説明を待つ間に挨拶や名刺を頂く。

家族にしか詳しい状況が話せないからと、私の到着を待っていた医師からの説明は
今朝の10:00頃、会社で倒れ、その時にはすでに意識はなく、救急車の中で一度心配停止し
病院へ着いてから約10分後に蘇生した、心配停止が10分以上していた事になる。
原因はくも膜下出血で、今は手術も出来ない状態なので、呼吸器で呼吸をコントロールし
点滴で血圧を下げる薬と止血剤・痛み止め(モルヒネ)を投与し、全身管理の状態。
今の状況は手術は出来ても2週間後だという事。
(頭の中の圧が上がっていて、今開頭すると脳が腫れて死に至るからとか)

ここまで話を聞いたら、なんだか手術をすれば治るのでは、そんな気にさせられる。
でも今考えれば、一番大事な話を忘れてる…運び込まれた時は5段階あるうちの5段階目
最悪の状況(一番死に近い状況)しかも心配停止が10分以上続いていたと。

母も呼んだほうが良いかと尋ねると、来た方が良いだろうと言われ、マーちゃんに連絡し
ばあちゃんとコウヘイを連れて京都まで来て貰う事に、それでも意識が戻ると思っていたので
喪服は置いてきても大丈夫だろうと…

病院で弟やマーちゃん達を待つ間に、会社の人がホテルの予約をしてくれ
名刺に連絡先等を書いてくださり、会社の人達にはひとまず帰宅していただいた。
従兄弟達にも、携帯の電話番号等を教えてもらい、何かあったらすぐ来るからねと言われ
一旦は帰ってもらうことに。

6時頃、会社の同じ職場の人たちが来てくれて、少し職場での様子を聞かせてくれる。
直の上司は女性で、お家にもお邪魔したりして、仲良くしてくださっていたらしい。
 倒れた時はデスクに向かい仕事をしていると「うぅ・・」っと声がして
振り向いた時には床に倒れていたと、すぐに顔色が土気色になり、呼吸はしているものの
意識はなく、すぐに救急車で運ばれ、一番近くの病院へ運ばれたと、それがこの病院だったらしい。

8時頃弟が到着。
病室は救命救急の病棟なので、面会は1日に1時間のみ、今は緊急なのでインターホンで
呼び出せば中には居れてもらえる。
状況は変わりない、口には呼吸器を入れられ、点滴・導尿の管が繋がれ
時々、あえぐように呼吸をして呼吸器とのタイミングが合わないような時もあり
ちゃんと生きてると感じられる。
すぐに病室を出て、待合室で待つ、10時過ぎに広島からばあちゃんたちが到着。
先程と同様に、面会するがすぐに病室を出て、一旦はホテルへ、弟達は尼崎へ帰る。

ホテルではマーちゃんがコウヘイと大浴場へ行くが、ばあちゃんは部屋のお風呂に入り
私は疲れてしまい、12時頃にはお風呂にも入らず布団に入る。


 
peaceの徒然ベランダ菜園日記
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