頭をぐるぐる駆け巡る事
2004/01/25 (日)

hare.gif 今朝も少し寒かった。
窓の外はうっすら雪が降って、屋根が白く庭の土の上にもかすれたように雪が…

最近、頭の中で駆け巡る事柄に『お肉』がある。
ダイエットしてるからお腹のお肉…とかではなくて、食べる肉の事。
先日コウヘイに「豚肉は死んだ豚さんのお肉なん?」と聞かれて「そうだよ」
そう答えたんだけど、実際は殺した豚さんなんだよなぁ〜、なんて考え出したら
そう言う事実って、どんな風に伝えればいいのだろうと…
そんな事が駆け巡っている訳だ。

ぽん吉さんのお家では鶏やウサギをしめて食している、そんな生活なら伝えられる
でも、こんな住宅街のど真ん中で食用に鶏は飼えんし、第一私たちもしめる事は出来ない。
マーちゃんにも聞いてみたけど、そんな経験も見た経験もないよなぁと言う。
小さいうちから、自分が口にしている物はどうやって家に来たのかとか教えられたら
野菜を作るようになってそんな考えが膨らむようになり、そこでコウヘイに言われた一言だ。
でもまだ考えもまとまらないうちの質問に戸惑った。

そしたら保育園から毎月頂く広報(?)の中に実にタイムリーに書いてあったのだが
「命の大切さをどのように伝えていくのか?それを考えるために
子供が参加する鶏鍋の会…生きた鶏を絞めて食べる会をしている」
そんな文章が書いてあった。
それを体験して鶏嫌いになる子供はいなかったとも書いてある。
そして「生きることの」に延長線上にある「死」…命の大切さを説くためには
大人にも相応の覚悟が求められているようです。と括られている。

私の父は食に対しては少し興味を持っている人だったので、母より料理も上手く
知り合いから色々な食材を手に入れては食べさせてくれていた。
私達は田舎の町の商店街のど真ん中で育ったので、あまり畑や家畜とは縁がなかったが
それでも春には山菜(ふき・わらび・ぜんまい位だが)を摘みに行ったり
頂いたウサギの肉や生きたうなぎを父が料理して食べさせてもらった記憶がある。
そんな記憶を私達はコウヘイに与える事が出来るか…無理だろうなぁ。
命を頂いているから「いただきます」なんだと教えてあげたいと思う今日この頃。



午前中は少し仕事をしてメールで送り、先方からの連絡待ち。
午後はひたすらExcelで予定表をパコパコ・カキカキしていた。
一応出来たけど、まだトマト・ナス・ピーマンは未定なのと、5月まで空いてる場所を
どうしたものかと思案中、何か良いアイデアはないですか?
ナス科・トウモロコシ・サツマイモの広い範囲で5月まで何もないのは寂しいよ〜

         予定表1             予定表2             予定表3

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peaceの徒然ベランダ菜園日記
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