2013/08/31 (土)
今日明日も35度ですって・・もうやめて〜
暑くなる前に、夫はスイカ後の耕運作業。大きくなったシソを抜く作業など。 私は家でジャガタマなどの腐りなどを確認。赤玉葱はそろそろヤバイ。
嫁ちゃんに電話して、野菜の在庫を聞いて仕分け。 「あのさ、ジャガイモ、玉葱、ニンニク・・・ある?」と聞くと「欲しいで〜す」 「じゃ、ピーマンが沢山あるし、畑で色々収穫してからオトーサンが持って行くから〜」・・となる。
「玉葱ジャガイモは買うな」とは言ってあるが、さすがに「無いから欲しい」と自分では言ってこない。 ・・それで、無くなりそうな頃を見計らって声をかける。他の野菜がラストになる時も言う。今回はトマト。
夫が収穫してきたモノの確認。ナス、トマト、オクラ、青唐辛子、ピーマン。 つるなしインゲンもあるハズだが、見落としたのだろう。雑草に埋もれてる(笑 地這胡瓜は花は確認したが、まだ採れない。 それぞれ虫食いを確認して、自宅分と分ける。収穫済のスイカを加え荷物をまとめる。 姪っ子に狂ってる娘が午後には帰省するので、オトーサンと一緒に行くだろう。
最近のこと。私の発言(返答)に対して・・ 職場では「青空説法聞いてる感じ・・」と言われ、夫も「坊主の話を聞いてるみたいだ」と言う。 自分も勝手なことを言ってると思うが、周りの話を聞いて考えると? みんな勝手なことを言ってるわよ。・・と感じることも多い。で、浮世離れした返答をするらしい?それが、坊主の話に似てるのか?
坊主の話とは説法ということで、坊主の説教とも言うが、正しくは説経。 はて?説教と説法はどう違う?と考えた。今更ね(笑 さて、お勉強となる。この暑いのに。
説法は仏教、説教はキリスト教と申しましょうか?厳密には違うと思うけど。それぞれにこの言葉があるらしい。 キリスト教は神が絶対ですから、神の教えを説教する。 仏教は体験により理解することが必要と考えるから、道理(法)を説く。 説法は自分自身で理解することを求め、説教は理屈抜きに従うことを要求する。 いやぁ、難しい。キリスト教は無条件に信じることが重要で、反対に仏教は、自分で確認せずに信じてはいけないと言う教え。
経験の少ない子供や後輩に説教する。コレは良くある。・・が、 説教は道理の通じない相手に行うもので、最終手段ということだ。むやみに説教すると言うのは、自分がわかってない証拠らしい。気をつけよう(笑 そして、自ら覚らない者、自ら証しない者に仏法を説く資格はない。とのことで? 自らを悟ってない私には資格がない。コレも気をつけよう(笑
ま、仏法が難しいから「ナマンダブ〜」とだけ唱えれば良い・・と昔の坊主が言ったのよ。・・と思っておしまい。 自分なりに考えると、人間は弱いのよ、その弱さを自覚してればそれで良い。・・かな? じゃ、南無阿弥陀仏って何よ?となる。
「なるほど親鸞聖人」から引用・・ 「南無阿弥陀仏」のことを六字の御名号といいます。名号とは、分かりやすく例えるならば、阿弥陀仏という名医が、私たちの重い心の病を見るに見かねて、 何とか助けてやりたいと作ってくだされたお薬です。 何のために生まれ、生きるのか。死ねばどうなるのか、分からない。未来への不安を抱えて生きているのが、すべての人ではないでしょうか。 ・・だそうで。。
寺の法事には、生まれた環境から行く機会はあったが、上の空で聞いてたわけです。 親鸞聖人、蓮如上人・・そうよね〜教科書で見たわ〜程度。 歳をとると言うことは、仏が近くなると言うことで、気になって来る(笑 辛い出来事が人一倍あったわけでなし、大きな悩みを抱えてるわけでもない。なのに気になる。
仏の教えとはなんぞや?と勉強してたら、職場から電話。ハイ、愚痴や怒りを30分に渡って聞かされました。 アタシ・・休みなんです。しかもコノ後一ヶ月ほど。・・ どうにもこうにも我慢が出来なかったのでしょう。。涙声です。 最後に「ごめんね〜余計な情報を聞かせちゃって・・」とは言ってくれたが、どうして?の気持ちはぬぐえない。 ・・まだまだ悟りは遠いな。自分。
|