他力本願の教え
2011/08/26 (金)

kumori.gif 昼過ぎに大雨洪水警報。通夜の始まった時間には上がった。

読経の後に坊主の法話。都会の通夜では坊主はお経だけ読んでサッサと帰ることが多いけど、
田舎から呼んだ坊主なので喋る。かなり長いのですよ。

まずは宗派の説明。千葉県全体の・・・宗の寺の数と、人口1万と少しだけの富山の町の寺の数が同じだそうだ。
だから、親族にはお馴染みのお経は、参列して下さったご近所の方々にはかなり珍しいモノに聞こえたらしい。
「こんな通夜は初めてだった」と母が言われたらしいわ。
決定的に違う教えは他力本願。同じ仏教ではあるけれど、他宗派はどうも違うらしい?私にはよくわからないけどそうなのだそうだ。
簡単に言うと、「ありがとう」の言葉を「南無阿弥陀仏」に置き換えて、それを唱えると、誰でも仏様、極楽浄土へ一直線。他力とは他人の力ではなく、仏の力。阿弥陀如来を指す。
仏の弟子になり階段を上がって行くのではなく、即、仏様になる。だから三途の川なと渡る必要が無くて六文銭も要らない。
仏様が金銭を請求する筈ないじゃないの。感謝を持って生活して行けばよい。全てにおいて見栄をはるな、感謝しろと言うことですね。

大体、坊主が自前(甥っ子)で法名もすでにある通夜はコチラでは滅多にお目にかかれないものね。
親戚が「葬儀場は儲からないな」と言うので、「そうね、ビックリしてしどろもどろになってた」などと。
口の悪い親戚など「葬儀場が儲からないから、次からのこんなケースは坊主持ち込み料が発生するかも?」と言う。
そうね、都会では葬儀ビジネスになってるからね。お布施の金額をムコウから指定することなど言語道断なのに、当たり前のようになってる。

 
paprikaの目標無農薬菜園
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