地産地消とは地味なもの/メガネ
2009/11/25 (水)

地産地消という言葉が独り歩きして久しい。

観光地にあるレストランが、地元食材を使った料理を提供している。それを遠方からの客が食べに来る..こういったケースは、はたして地産地消と言うのだろうか?

確かに、地元で消費されているから地産地消に違いないという考え方はある。

ただよく考えると、おかしい点もある。
地元野菜を遠くの大都市へ送って、その都市の住人が食べた場合、これはいくらなんでも普通は地産地消とは言わないだろう。

じゃあ、食べ物を送るのではなくて食べる人が生産地へ来て食べたら? これが、冒頭の観光地におけるレストランの例だ。

私の感覚としては、食べ物を遠隔地へ送ってその人が食べても地産地消と言わないように、遠くの人が旅行などで一時的に生産地まで来て食べても、素直に地産地消とは呼びにくい。

地産地消とは、生産された地点と消費された地点との間の距離のみを表す言葉ではなく「誰が」 「どれくらい」食べているかというのが、より重要だと思うから。

いくら遠方から観光客が、大勢やってきて地元のレストランで地元食材を使った料理を食べてくれても、その料理はその人達の数ある食事の一食分でしかない。
別に、その料理である、その素材である必要性は何もない。極端な事を言えば、その一食を抜いたってそれくらいどうって事はないのだ。

もちろん、経済面で考えれば、地元での消費には限界があるから遠くから人がやってきて、食事をしてお金を落としていってくれるのは誠にありがたい事だが。

一方、農産物を特定の客先へ定期的に宅配便などで送るという販売形態がある。
無農薬で野菜や米を作っている農家によく見られるスタイルだ。

地理的に農家とそのお客はずっと離れているかもしれない。日記の最初に私はこのようなケースを普通は地産地消と言わないだろう..と書いた。

しかしこういった場合、その客は生きていくための食料のかなりの部分をその農家に依存する事となる。しかも、継続的に。その農家が品物を送れなくなったら、客も困ってしまうのだ。

このような場合は、確かに素直に地産地消とは言えないが、わたし的には、かなり地産地消的だとは思う。

このように、地産地消とは生産者・消費者共に相手が無くてはならない関係が持続されている状態の事を言うのかな..と漠然と感じてきている。

決して、ガイドブックのレストラン紹介記事で派手派手しく宣伝される性格のものではないといつも思っている。

だから「地産地消で町おこし」なんて言われると、全くシラけてしまうのだ。
町を興すという言葉の意味のかなりの割合は「外からカネが入ってくる仕組みを作る」という意味だと私は認識している。

外からカネが入ってくる事はもちろん、必要な事だけど、地産地消は自分達が生きていく為に必要な、空気や水のようなもので、自分達の為に自分達で実行し、守っていくべきものだ。
私はそう思っているから、地産地消で外からお客を..って言われても、全くピンとこないのだ。

やるなとは言わない。でも、地産地消という言葉は使わないで欲しいと思っている。
「新鮮な地元食材を」 とか 「特産の地元食材」をなどと言ってもらえないだろうか。

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本日は、朝、小雨。
雨の中、畑仕事をやることもなかろうと、注文してあったメガネを引き取りに行った。

今回作ったメガネは、今までとは全く違ったデザインのものにしてみた。
悩みに悩んで(と言っても十数分だが)選んだフレーム。
かけてみると今までのフレームと全然タイプが違うにもかかわらず「案外、違和感が無いよ」と妻の声。

実は、購入時、候補のフレームがもう一個あったのだが、そちらは紙一重で売れない漫才師みたいになってしまうので却下となった次第。

午後からは畑の片付け。
途中から、隣の畑のおじいさんがきた。菊を作っている人だ。
立ち話。

そのおじいさんは、もう来年は菊栽培はやらないと言う。

思い出せば、昨年、そのおじいさんは翌年は菊栽培をやめるつもりで、仲間を呼んで株を分けてあげていた。
でも、そのうちの一人から随分と「もう少し続けようよ」と説得されたようだ。

それで、今年は面積を縮小して菊栽培をやっていたのだが、来年は全面的に止めてしまうようだ。
確かに、見ていても来年用の株を伏せた気配が無い。

跡地はどうなるか、まだ未定だそうだ。

 
ohyakusyou2001の地産地消日記
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