2008/05/19 (月)
明日は雨らしい。 雨の前の日は忙しい。
朝、圃場7の残りを耕す。 ついで圃場40。ここは、秋に白菜を作る予定の畑。 ついで、圃場6の余った部分を耕す。 本来は、ここにジャガイモを作付ける予定で空けてあったのだが、事情で予定変更した。だから、今年はこの部分はお休みとなる。 続いて、圃場37と41の余った部分。 圃場37はヤングコーンとブロッコリ、圃場41はネットが必要な豆類と白いスィートコーンを作付ける。
トウモロコシ類は、ヤングコーンを入れると4種類もあるので、交雑しないように畑も別々。もちろん何百メートルなんて距離はとれないけど。 畑がバラバラなので、管理は実にやっかいになりそうだ。
私があちこち耕している間に、嫁さんが管理機をつかってスィートコーンと豆用のマルチを張っていてくれる。
午後は圃場35の余った部分の耕耘。この畑の一部にジャガイモが植え付けてある。 この畑は他の畑とちょいと離れた所にあるので、なかなか見に行くことができない。 実は、今日行ったのも三週間ぶりという有様。
前回見たときは、ジャガイモの芽は出てなかったのだが、今日はほとんどの芽が出ていたので、芽欠きをする。 何種類もの品種が植えてあるのだが、品種によって芽が出る早さがかなり違う。 よってこういった管理なども何度かに分けて行わなければならず、実に面倒くさい。
ここまでやって、戻ったら、圃場22で嫁さんがマルチ張りに苦戦していたのでこれを手伝う。 この畑は、ねじれた斜面になっているので、管理機をまっすぐに走らせるのが大変なのだ。 結局今日は、豆類、ホワイトスィートコーン、レッドスィートコーンのマルチを張った。 全部マルチを張り終えたら、もう夕方5時半近く。 今張った、マルチに早速、トウモロコシを植える。今夜、雨だからいいだろう..ってことで。ついでに、キャベツとブロッコリも定植 全部で500本ほどの苗を植えたら六時半過ぎ。本日の作業はここまで。
明日は雨なのでルバーブジャムを作る予定。帰り際に何本か収穫した。
それにしても、今日は本当に風が強い日だった。 道すがら、あちこちの畑でマルチはめくれているし、トンネルは飛んでいるし。 幸いウチの畑ではめくれたマルチは無かったけど、昨日、植えたばかりのソラマメが全部傾いてしまった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− さて、副題の「なぜ農家は大手流通が嫌いなのか?」 話を聞いても、みなさんあまり良い事を言いませんね。 その大手流通に出荷している農家でも(だから?)そう、悪口ばかり。 助かるとか、おかげさまですって話は全然聞きません、少なくとも私の回りでは。 なぜなのか、チト考えてみた。
まぁ、単純に言ってしまうと買い叩かれるから..というのが思いつく理由。 だから嫌われる..ではすぐに話が終わるので、更に突っ込んで考えてみた。
思うに、一般的に流通に乗せると品物と金だけの流れとなり、品物に付帯する情報は断絶される、この点が農家にとって不満ではないだろうか。
レタスはいくら、キャベツはいくらでないとよく売れないと言う店頭価格の相場があるという。 しかし、それはただ、並べて置いておいて売れない..という意味だ。 これは、生産者からしてみれば一生懸命売っている姿とは、とても見えない。ただ、並んでいるだけだから。 自分達が一生懸命に売っていもいないくせに、幾らでないと売れないとは何事だ! という点が農家にとって大きな不満なのではなかろうか。
もちろん、スーパーも様々な方面で総合的な売るための努力はしているのだろう、が、それは個々の品物には及ばない。 品物単体としては、ただ売り場にあるだけである、値札と共に。**県産という産地の表示以外に情報は何も無い。 別に農家の名前や顔を表示してくれ..という訳ではない。 その売っている野菜の背景を消費者に伝えて欲しい..どのように生産されているのか、買い物にやってくるお客さんに伝えて欲しい..という気持ちが満たされていない。 また、伝えようというそぶりも見せない..価格面でも心情面でも満たされない..だから腹が立つ..という具合ではなかろうか。
気持ちだの感情だの何をセンチメンタルな事を言っておるのか?プロなら品質で勝負だ。良い物はお客さんは評価してくれるハズだ..そう思われるむきもあろう。 「良い物」とは何を指すかによっても変わってくるが、もし、この考えを成り立たせようとしたらどんな物が「良い物」なのかを、誰かが買い物客に教えてあげなければならない。 これができるのは、スーパーしか無いのだが、この役割をとても果たしているとは言えない。 これでは、品質向上を目指している農家はうかばれないのではないだろうか..
販売現場でこんな有様なので農家の言う「良い物」と買い物客が言う「良い物」が異なってくる。 ここに流通業者の立場で言う「良い物」が割り込んでくるために、余計に話はややこしくなる。 各者各様の「良い物」では、ミスマッチにより生産者が無駄な労力を強いられていないだろうか。
良い物=お客さんが買ってくれるもの という定義なら話は簡単だ。買い物客が「未熟な青いトマトが最高だ」と言えば、農家はまだ青いトマトを収穫するまでである。 しかし、これは本来ではなかろう?
今、直売所の人気が出てきているという。 生産者の人となりが分かるから..どんな風に育ったかが分かるから..というのが理由の1つだと思うけど、ひっくり返して言うと、スーパーの物は得体が知れないものという印象を持っているわけだ。
本来は、買い物客がこういう印象を持つことに対して、スーパーはもっと恥ずかしがらねばならないと思うのだが、どうだろうか。
|