私が家庭菜園を勧めるワケ & 農業に明日はないが、あさってはある
2008/04/16 (水)

これは、以前にも何度か書いた事があります。
なぜ、私がみなさんに家庭菜園をお勧めするのか..私自身が、自分の気持ちを再確認する意味も含めて、ここでもう一度、書いてみたいと思います。

端的に言ってしまえば、家庭菜園を通じて皆さんに食料についての、それぞれご自身の原点をつくってもらいたい為です。

例えば、トマトは冬にとれません。また、夏にとれたトマトでも、自分が作ったものは皮が割れたり、実の先っぽが腐ったりしてしまうことがあります。
トウモロコシだって、粒が歯抜けになったり中に虫が入ったりします。枝豆も中に虫が入ったり。
ブロッコリだって、明日採ろう..と思って一晩おいておいたら、次の日にはもう黄色くなっていたりします。

こういうのは、スーパーの野菜売り場を見ていたって分かりません。自分で栽培してみて初めてわかる事です。
そうすると、スーパーの野菜売り場に並んでいる野菜の見方が、多分、変わってきます。
「何で、こんなに綺麗なトウモロコシばかりなんだろう」
「どうして、冬にトマトがあるのだろう」

このように、まずは野菜について、普段、見落としてしまっている事を疑問に持つようにして頂きたいと思います。
感度を高めていくわけです。

やがて、更に感度が深まると、この考え方は加工食品など、他の食品へも波及します。
すると、もっともっと疑問が増えてくるハズです。
で、果たして、これは自然な事なんだろうか..と色々な事柄について疑問を持ってもらいたいのです。

「この食品は、どうしてこんな色をしているのだろう」
「外国から輸入された冷凍食品を食べる事は、果たして自然な事だろうか?」

こうして、色々な事を疑問に思い、それを自分なりに調べて、これらを蓄積してもらいたいのです。
こうしてできた知識の蓄積が、あなたの原点となります。

こうして、下地を作ったその上で、現実と理想との自分なりのバランスを決めてもらいたいのです。
何が何でも、理想的な食品を食べて下さい と言うのではありません。
ご自分の生活様式や経済状況を考えて、現実と理想との折り合いは各自が思い思いの地点で付けてもらえば、それでいいのです。
大切なのは、何を買うかではなく買うときの心構えです。

例えば、輸入物の冷凍食品を買う場合でも、その食品の背景を知った上で、自分に対するメリットと比較して、その結果、それを買う。
結果としては同じ買うという行為でも、ただ漫然と「安いから」 「弁当のおかずに手っ取り早いから」 という理由だけで買うのとでは、すごく大きな違いがあります。

このように、あらゆる食品に対して様々な面から見つめて、考える感度を高めてもらいたい。
そう願って、家庭菜園を皆さんにお勧めします。

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「農業に明日はないが、あさってはある」
故 井原氏の有名な言葉だ。
家庭菜園をやっている方なら、「図解・家庭菜園ビックリ教室」という本をご覧になった事があるかもしれない。
その著者である。

「農業に明日はない、しかし、あさってはある」
この言葉の元々の意味は...
お上の言う通り行う農業に明日は無い、農業の将来は別の方向(あさっての方向)にある
という事らしい。

しかし、今、この言葉を読み返してみると、別の意味にもとれる。
今、世界中で穀物が高騰したり食品への不安が増している状況を見ると、そろそろ上の言葉の「明日の日」も、すっかり日が暮れて、もうすぐ明後日になろうとしている..そんなふうに思える。すごく長かった「明日」だった。
この言葉の公式的な解釈は、先に挙げた通りのようだけど、氏は間違いなく後者の意味も含めていたはずだ。

今、資金という目に見えない怪物が地球上を不安定に陥れている。
これだけ世界が不安定になってくると、何を信用していいのか分からなくなる。
千円札が一枚...確かに、今日は千円の価値がある。千円分の品物が買える。
しかし、一年後は今と同じ価値があるかどうかは分からない。

ここに茶碗一杯のお米がある。この価値は十年後も不変である。
茶碗一杯のお米は、今日でも、そして十年後でも、間違いなく一人の人間の命をある一定時間つないでくれる力がある。

目の前に、自分が食う米が、豆が、芋が..青々と育っている。
今の時代、これほど確かで頼りになるものが他にあるだろうか...

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さて、今日もやっつけ作業の日。

圃場44。朝一番で、昨日、肥料を撒いたところを耕す。
そして、今度は化成肥料を撒布。この畑は、16aの広さ。

この畑には、キャベツを植え付けるのだけど、一度に全部植えるわけではない。
キャベツは、直売所と給食、レストラン向けなので一度に大量は要らない。少量ずつチマチマと収穫するのだ。
だから、何回にも分けてチマチマと種を蒔き、チマチマと植えて、チマチマと畑を埋めていくのだ。
計画では、この畑を秋までかけて全部使う予定だ。

だから、今日は、当面使う部分だけ化成肥料を撒く。
肥料を撒いた後は、その部分だけ再度、耕耘して、その部分だけマルチを張った。
通常、キャベツの栽培にはマルチを使わない事が多いのだけど、ウチでは全面マルチで栽培している。
その方が雑草の管理が楽だし、肥料が少なくて済むので。

ただし、キャベツはレタスと違って、収穫後、茎がマルチの上に残る。
これが邪魔をして、収穫後、なかなかマルチが剥がせない。時間がかかる。
ただ、このマルチを剥がす作業は、どうせ、秋になって暇になってから、ボチボチやるのでこれはあまり問題にはならない。

収穫終了後、マルチをあまり早くはがしちゃうと雑草が生えてきて、その管理もしなくちゃいけないので、そういう面からも秋までそのまま張りっぱなしなのだ。
キャベツの跡に何か別の作物を植える訳でもなし、一年に一作だけだから実にお気楽なものだ。
一反歩5000円かそこらで借りている畑だから、こういう事ができる。
効率という点から見ればすごく悪い、だけど土にとっては無理がかからなくて良い。

さて、昨年のウチのキャベツだけど、見た目は立派だった。直売所でもよく売れた。
ただ、自分で言うのも何だけど、味はあまりよろしくなかった。
理由は簡単、肥料をたくさんやったからだ。
なぜ、肥料をたくさんやったか?

レタスは地力で作る作物、白菜やキャベツは肥料で作る作物だとよく言われる。
(麦と稲についても、同じような事が言われる)

ウチで作付け面積が最も多い作物はレタスだ。
ウチの場合、造成した新しい畑が多い。そういう畑は、概して地力が低い。
そこへいきなり、レタスを植え付けてもうまくいかない。
どうしてもできない訳ではないけど、大変無理がかかる。

そこで、新しい畑には肥料食いの白菜やキャベツを何回かつくって、地力を付けてからレタスを作付けるという方法をとっている。
元々、肥料っ気スッカラカンの畑にうんと肥料を入れて、無理矢理作るのだから、そりゃ美味い訳がない。
そんな具合で、我が家ではキャベツや白菜は非常に気の毒な存在である。

ただ、いつまでも美味しくないキャベツを出荷している訳にもいかないので、今年はいくつか工夫をしてみた。
これが効果があるかどうかは、二ヶ月半後のお楽しみだ。

午後は、嫁さんにはレストラン畑で二十日大根の種を蒔いてもらう。
私は、次回、マルチを張るレタス畑の耕耘作業。
夕方6時過ぎに本日の作業終了。

 
ohyakusyou2001の地産地消日記
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