2008/04/11 (金)
人間は生きているのか? それとも生かされているのか?
ただ生きているって言うと、無味乾燥で無機質な感じはするし、それを言っちゃあその先へ話の進めようがないではないか..とそんな感じがします。
生かされているって言うと、これはこれで、そこまで卑屈に考える必要は無いんじゃないか..って気もします。
皆さんのおかげで生きています、ご先祖様のおかげで生きています、大自然のおかげで生きています...色々使う場面はありそうですね。
人間はどのようなところで生きているのでしょうか? 集落、村、町、大都会、草原の一軒家、離れ小島、ツンドラ地帯、熱帯ジャングル、砂漠。 人間は色々なところに住んでいます。 でもどの様な場所に住もうとも、自然の中に住んでいるという束縛からは逃れられませんよね。
太陽系、銀河系、宇宙これらも言うまでもなく自然です。 たいへん大局的な見方をすれば、人間も自然の一部。マンションだって、飛行機だって、自動車だって、コンピュータだって自然の一部ではないかと。(人工物では無いと言っているのではありませんよ)
森に住んでいる小鳥が木の上に巣を作った。その巣は自然ですか? サバンナで蟻が大きな蟻塚を作った。この巣は自然ですか? これを自然と言うなら、人間が住むために家を建てた、マンションを建てた、これと本質的にどう違うのか? そういった事を考えていくと、人間そのものも人間のあらゆる所作も自然の単なる一部分としか思えないのですが、どうでしょうか。
こういう点から見ると「生かされている」という考え方は、どうも自然界の中で人間だけが特別な待遇を受けているという考えが底にあるようで、私には馴染みが持てません。 自然がもし、意志を持っているとしても、人間だけに特別注目したり手をかけている訳ではないのではないかと考えています。
でも「生かされている」という考え方を私は完全に否定しません。 人間社会内の秩序を保つ上で、こういう考え方は大きく役立っていると思います。 犯罪を抑止したり、他人を思いやって社会の動きをスムースにしたり、品物を大切にして資源を節約したりと、その効果は大きいと思います。
でも、それはあくまでも人間社会内のだけのルールや価値観にとどめておくべきものと思います。 その適用範囲を広げて「自然のおかげで生きています」は、範囲を広げすぎです。 人間は自然の一部分、単なる存在。威張る必要もなければ謙虚になる必要もない。 人間が何かをやって、繁栄しようとも自滅しようともそれも自然。
こう考えると、色々な事柄についてスッキリ説明が付くように思えるのですが、どうでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 雨上がり。今日も畑に入れず。
やることが無いのをいいことに、近所の農家の育苗状況を偵察に。 まずは、Aさんち。 ビニールハウスの中には誰も居ません。踏み込み温床が一つ。 でも、苗は少ししか入っていません。どうしてなんだろ。 会えなかったので分かりませんでした。
次にBさん宅。 何と、ナスとトマトの種をまき直しています。 何でも、踏み込み温床内にガスが発生しちゃったらしく、苗が大きな被害をうけてしまいました。 見ると、ぐったりと萎れたトマトやナスの苗。 幸先悪いスタートにBさんがっかりです。
次はCさん 培養土を自作しているCさんですが、土がうまくいかなかったらしく、発芽率が悪いようです。 「いっつも、苗作りがうまくいかないんだよな〜」とはCさんの言葉。
次はDさん ハウスには誰もいません。勝手に見てきました。 この人が一番上手かな..
と勝手に他人のハウス巡りを楽しんできました。
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