2008/04/02 (水)
今日は圃場1のマルチ張り。 まだ、若干、水分を含んではいるものの、この畑は乾燥しやすいのでマルチを張るタイミングには十分な注意が必要なのだ。 この畑を作り始めて5年だけど、最初の年はあまりの乾燥に収穫皆無。 どんなに水をやってもダメだった。土の上を水の玉がコロンコロンと転がるばかり。 前に作っていたのは菊農家らしいけど、その人もかなり苦労していて、結局、あきらめたらしい。 ああいったものは、丈が出ないと売れないのだ。
様々な資材の大量投入を経て、なんとかかんとか作れるようになったのが三年目から。 我が家では一番カネがかかっている畑である。
この畑のマルチ張りを終えてから、ミニチンゲンサイの種まき。 旧名「クーニャン」 今の名前はシャオパオ。 クーニャンというのは、若い独身女性のことらしいけど名称変更の理由は何だったのだろうか。 シャオパオは440本ほどまいた。
さて、昨日予告した題名「いつまで漕がなくてはいけないのか?」 自転車を漕ぐとか、そういった事をイメージしてもらえればOKだ。
世の中、まことに便利な時代となって、夜中に牛乳を買いに出てもちゃんとコンビニエンスストアに置いてある。 電池が無くなっても、香典袋が急に必要になっても(まぁ、香典袋の必要性が前もって分かることはあまり無いけど)ちゃんと置いてある。 負けじとスーパーも深夜営業をやり始めた。
深夜まで働かなければいけない人が増えると、それをアテにしたサービスができる。 そうすると、また深夜に働かなければならない人が増える。 これを「深夜までやっていて便利だ」ととらえるより「こんなにたくさんの人が夜中まで働かなくちゃいけないなんて、おかしくないだろうか?」と考えるのは不自然な事だろうか?
同様の事は、他の様々な面で見られる。
まるで終わりのない自転車漕ぎだ。 いったい、いつまでこぎ続けなくてはいけないのだろう。 体力の続く限り、ぶっ倒れるまで漕ぐつもりなのだろうか...
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