復活
2009/06/18 (木)

だんなの肉体がこの世から消えて 一か月経ちました
でも どこかに行っていて会えないだけだと 自分に言い聞かせて 過ごしています
2年前に 大腸癌の手術をした時から 先生に 言われて 覚悟はしていましたが やっぱり 馬鹿なので 奇跡があるかもと 家で 療養しながら やさしくできず
叱咤激励して本当に やさしくできず 積もる話もできずでした
でも 痛みもなく 最後は 食べる量も減りましたが
ピザ お好み焼きと おいしそうに 食べていました
5月15日に 先生から 何があるかわからないからと 入院をすすめられて 入院して お気楽に過ごしていました
日曜日は 二男以外子供3人と私と孫で 病室で くつろいで
長女は 本を読みながら 家と いっしょじゃなあと 言っていました
夕食を食べていて 喉につまって あれれと 心配もしましたが プリンを 1カップそのあと食べました
明け方 4時ころ ねぼけて 克子 ごはんと はっきりといいました
もうちょっとで あさごはんだよと 私も 気楽に答えました
それから トイレに 行っても おしっこがでませんでした
お茶を飲んで ちょっと 外にでて 帰ってみると
お茶を もどしていました

私のいない間に苦しかったのかなと 思いました
それからは もう あっというまに 機械をつけて 数字がぴこぴこと なり始めました
でも それでも 気楽な私でした
交代の 義父義母と 代わって 家に帰って
お風呂にはいって 夕方 長男と 病院に行きました
何か言うと 答えるので 夕飯は ハンバ−ガ‐をと 長男が買いに行きました
帰ってくるころ 器械の数字がす-っと 低くなるのです
長男に みんなに連絡してと 言って 長男が
携帯電話なので 病院の外にでて 連絡するあいだに
あっと いう間に 数字が 0になりました
あっけなかったです
結局 私一人 が 最期を見ることができました
呼吸をしないということが 本当に 不思議でした
それからは 葬儀社に連絡などして 月曜日の夜ですが
家に帰ると ちゃんと みんなが まくらもとに だんごなどをよういして くれていました
本当に 物言わぬ人になった だんなでした
若すぎるといわれるのが一番つらいです
責められているようで
水曜日に葬式があり 事務的なことは 全部 子供たちがしてくれました
葬式の次の日から 普通に 仕事を始めました
それから 税理士さんに連絡して あらゆる 事務処理を始めました
長男が いまいち あとをつぐ 決意がなくて
私が あとを継ぐことになりました
毎日 朝ご飯を炊いて 供えて 水をかえて 花の水もかえて ち-んと かねをならしてはいるけど いまいち
実感がありません
千の風になっての歌詞が一番私の気持ちに添います
わたしが 忘れない限り だんなは 生きていると思います

ということで だんなは ちょっと 会えないだけだと 思っているので 普通に生活しております
おいしいもんを食べる気持も衰えず せっせと おいしいものを作ってたべております

畑のトマトも 赤くなり始めました
生きている私たちがおいしくいただいております
生きていることに 感謝して 何があっても それくらいのことと思えるようになったことが 収穫です
だんな 一人の死でも このように 思えるのだから
世の中の 理不尽な死を体験した人たちは もっともっと 大きな人間になっていくことでしょう

ネットも 旦那の カ−ドで 支払いをしていたので
通じないと思っていたら 今日 長男が まだ つながっているよと言ったので 書き込みました
これからも よろしくお願いします

 
広島種蒔きパラパラ日和
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