きりきりと胃が痛む
2005/02/19 (土)

ame.gif 親戚の一周忌。
朝から法事に出かける。
読経の始まる前に勧められてうどんを食べる。
おばちゃんたら次々にうどんばちを運んできて「遠慮せんと何杯でも食べな。」
ついでに「残したらいかん。もったいないけんのー。」と一言付け加えてうどんを置いてった。そりゃあんまりごムタイなー。
うんうん苦しみながらうどん食べる。3玉だぞーー。3玉いっぺんに食べるの,初めてさー。

2時間の法事のあと,料亭に席を移して会食。

ここでも食べる。めったに見ないご馳走だからと踏ん張って食べる。食い意地張ってるのだ。出されたものは食い尽くす主義。

その後,親戚の家まで帰ってティータイム。
老若男女,みーんな,ここでも食べまくりさー。
アタシはお茶しか飲まなかった。悔しいことに限界を超えていましたんでさぁ,胃袋の。

なんつーのか,うちの親戚,揃っておしゃべりなんだわ。亡くなった我が祖母は,昔ながらの「たばこ屋」の看板ばーちゃんだった。はぁ,そのあたりじゃ有名人。たばこ一箱買いに来ただけの一見さんのお客さん相手にしゃべり倒す。
お客さんでもなく,通りを歩いているだけの人を「ちょっと寄って行かんかな。」だれかれの見境もなく,ね。
うちの店先を通るときは,あのばーちゃんに見つかりませんようにとそりゃもう,みな,ドキドキしていたと思うなー。
私がちょっと大きくなった頃,たばこの自動販売機がばーちゃんの店先に置かれましたのさ。ばーちゃん,嘆くこと,嘆くこと!なにせ,店を訪れる人は激減しましたもんねー。しかしそのことが呼び込みに拍車をかけたように思える。

父方の祖父母の離れが私たち一家の住まいだったので物心つく頃から祖母のぬくもりを感じながら育った。
幼少の記憶はたばこ屋で店番している祖母とお客さんと私。いつも誰かと話している祖母の姿が浮かんでくる。

その祖母の血筋なんだろうな。我先に話そうとする人ばかり。皆が皆,そうなので,声も大きい。
そーなのだ!我先に話そうとするとき,声の大きい人が勝つのだ。どーしても話したいことがあるときには相手を制して話に割って入らねばならず,それで大声になるんだなー。

「あ〜〜 うるさい人ばかりが親戚で情けな〜い・・・」と嘆いていると「声の大きな人間に悪いヤツはおらんのよ。」と同年の従弟が胸を張る。あ〜〜,くれいじーな血筋じゃのぅ。

この同年齢の従弟,大工をしている従兄とは別人。
親戚の中で爺やに一番似ている。
顔も背格好も,かもしだす雰囲気も似ているので初対面の人は,二人が並んで座っていると必ず親子だと思い込む。

・・・親戚の生んだ子どもがうちの長男に似ていたり,つめの形が2歳と75歳でそっくりだったり,爺や兄弟の歩き方がなくなった祖母と一緒だったり。。。
血筋は争えん,とガックリうなだれる法事の日。

バカ息子の出来の悪さで胃が痛いのかと思っていたけど,暴飲暴食のための胃痛だった。

ついでに今日の晩ご飯。
親戚からお土産にと渡されたものの中にうどん玉。ぐわーーーーん!
仕方ないからきつねうどんに仕立てた。油揚げを甘辛く煮て,うどんだしは昆布とかつお。

讃岐人は3食とも「うどん」でもどうってことないのら〜。

 
michiの家庭菜園作業メモ
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