お盆に
2004/08/13 (金)

hare.gif 失踪。
なんてことは小説か映画の中にだけあることで。
現実には,事件絡みならともかく,あり得ないことだと思ってた。

それが身内に起こっていたことを初めて知らされた。
姿が見えなくなって10年。
その間,その人自身の兄弟が次々亡くなった。
兄弟だけでなく,他の身内も何人も亡くなった。
お葬式に来ないのは,よほどの事情があるのだろうと,理由を家族には尋ねなかった。
立ち入りすぎて傷つけるのがこわかった。
私だけでなく親戚中がそう思ったのだろう。

「誰一人,どうして葬式に来ないのかと聞かなかった。だから言わなかった。病気だと嘘を言ってその場をしのぐことはできたけど,嘘は言いたくなかった。」と,その人は言った。

10年間,彼女は耐えてきた。
その間,夫の名前で供養し,息子に所帯も持たせた。

お盆で会ったその人はいい知らせではないけれどと言いながら,失踪した人が死亡の扱いになったことを告げた。

こういう人生を歩む人もいる。
だけど,投げ出したり,自暴自棄になったり,被害者意識にとらわれたりすることなく,ただ地道に生活を営んできた。立派だ。

私も2番目の子どもに障害があって,「どうしてあの人じゃなく,私のこの子がそうなのか」と世の中を恨みたい時期があった。

いつもは生活するのにあくせくしたり,降りかかってきた難問解決のためにいろいろ手立てを講じたりするのに手一杯で意識しないけれど,ワイドレンズでのぞいてみると,自分に近いところで知らないうちに次々といろいろな事件・出来事・ドラマが起こっている。
だいじなのは出来事ではなく,その出来事があろうとなかろうと,その人がどう生きるかということ。


風に揺れる草は,風を恨まないし,根付いた場所も後悔しない。ただ,あるがままに,自然の中で精一杯命を全うする。そんなふうに私も生きていきたいと思った。


お盆の時期に私にこういうことを考えるようにと仕向けたのは,亡き母の思いかもしれない。

 
michiの家庭菜園作業メモ
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