2011/04/02 (土)
花の影寝まじ未来が恐ろしき 一茶
この句には「耕ずして、喰らひ、織らずして着る体たらく、今まで罰のあたらぬもふしぎなり」と前書き があって、辞世の句として詠まれたとも言われている。
一茶は十五歳の時、 江戸に奉公に出され、生涯のほとんどを江戸で暮らした。家庭の事情での江戸行き ではあるが「花のお江戸」である、故郷を離れる寂しさの中にも、多少の夢もあったと思う。江戸は商売の 町、真面目に奉公すれば暖簾分けなど出世の道もなくもないが、奉公はすぐに辞め、さまざまな人生を 受け入れる夢のお江戸に飲み込まれて往った。やがて誹諧師として生活するようになるが、それは故郷と 同様貧乏で楽ではなかったらしい。しかし生活や心の貧しさを露呈して恥じない一茶の特異な俳句は江戸 俳界でも注目されていたらしい。けれども一茶は信濃の百姓の詠む句だと誰も評価してくれないと記録に 書いている。結局、誹諧師として江戸で活躍する夢や未練もあったが、帰郷を決意することになる。
蝶とぶやしなのゝのおくの艸履道 蝶とぶや此世に望みないやうに
行秋をぶらりと大の男哉 白露にまぎれ込んだる我家哉 露の世の露の中にてけんくわ哉
一茶の時代、国民の多くは百姓であり、生きるため、食うために誰もが昔から引き継がれ、伝えられた農耕 に携わっていた。「田を作ること」を知ることは生活の中の常識でもあり、文化でもあった。
春 糞汲が蝶にまぶれて仕廻けり 夏 もたいなや昼寝して聞く田植唄 秋 寝返りをするぞそこのけ蛬 冬 大根引一本づゝに雲を見る
あまり気の入らない農作業風景や、そんな自分に対する反省の気持ちが、ちょっと可笑しく詠まれている。 一茶は生涯二万もの俳句を残している。森羅万象、感情を抱かせるものとしての万物を、繊細に、優しく、 ときには厳しく、滑稽に毎日「俳句に作ること」を愉しんでいる。自然観察力も感心するし俳句を愛する 気持ちも伝わってくる。そして一茶の句のすごいのは人間の心の叫びのようなものを感じることである。
春立つや菰もかぶらず五十年
一茶は帰郷してから二度再婚、父も後妻をもらっている。家や縁を大切な事とした当時の村社会で周囲が 思いやったのだろう(世話好きも慣習)。子供も何人か亡くしている。医療や福祉が完全でない社会だから 何処の家庭でも父や家族は世間に迷惑をかけぬよう何時も人として戒めて貧乏や不幸せに耐え生きていた。 子供の一茶はそんな姿を見ながら自分の運命に反抗しながらも自然に癒されながら素直に受け入れている。 <花の影寝まじ未来が恐ろしき>一茶は自分を遊び人(誹諧師)として自己懺悔の気持ちで世間をみていた と思う。一茶の優しさはそこにある。最後までふるさとに生きる百姓であった。 真にやさしい「一茶さん」
<今日の一句>かすむ目や絵本を読みて眠り入り
追記:俳句を深く理解せぬままに「農園日記」に掲載している。<今日の一句>では一茶の句をお手本にと 思って詠んではいるが、到底無理なことなので下手な句だが自分なりに楽しんでいくつもりである。 (参考図書 信濃毎日新聞発行「おらが春」、一茶記念館編「一茶さん」他インターネット"一茶"サイトから)
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