2004/08/09 (月)
子供が宿題の歴史レポートの題材に「高松城の水攻め」を選んだので 今日は隣市の総社市高松の城趾に連れて行ってくれと頼まれたので一緒にフィールドワーク。
あっち〜っ。
※高松城水攻め=豊臣秀吉が織田信長の命を受、備中高松城周囲に堤防を築き 歴史にも稀な水攻め、一ヶ月の兵糧攻めで勝利を収める。(その間本能寺の変で信長は横死)※
子供のテーマは 「城内に居た5000人を一ヶ月まかなえる兵糧とはなんだったのか」 「城を囲う堤防土の総量はどのくらいだったのか、12日間で本当に出来るのか」 「本能寺の変を岡山まで早馬で知らせに来た使者は伝えたその場で 秀吉に切られたらしいが、切られる事がわかっていてなぜ来たのか」 その辺のことを調べたいそうな。
資料館が休館中なので自分で調べるしかなさそう。頑張れ〜。
※写真※ 今は国定史跡の美しい湿性植物のある公園に変わっている。所々の史跡に説明図が残る。
1.5000人の城下民の命と引き替えに船上で切腹した城主「清水宗治」を見守る秀吉の絵。 辞世の句は「浮き世をば 今こそわたれ もののふの 名を高松の 苔に残して」
2.公園設立で、かつての本丸周囲の湿地を再現したら当時の蓮池部分から蓮が 400年の眠りを経て生えてきたそうな。なので「宗治蓮」と言うらしい。
3.秀吉が座っていた小山に登ってみました。なるほど平らな場所。
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