全日本菊花連盟と日本菊花会
2011/02/14 (月)

昨日の日記の続編になるのですが・・・・・・・

私の掲示板に意見を書き込んでくださった方々、日記でこの問題を取り上げてくださった方々、ありがとうございます。

率直に言って、現在の菊の世界を戦国時代に例えると、駿河の国の近くに本拠地を持つ東軍の全菊連、大阪の国○園に本拠地を持つ西軍の日本菊花会のお互いに相容れないせめぎあいが、秋になると繰り広げられている・・・・と言えるかと思います。

それぞれどちらにも問題を抱えていると思いますが、搬入や搬出の費用を会で負担して、大勢の社員スタッフを動員して、表彰式では受賞者の背丈よりも大きなトロフィーをずらっと並べて大々的に展示会を開催する日本菊花会では、沢山の見学客を集めて商品を販売すると言う、利益を生み出す?商業ペースの展示会と言うことで、市、県、国の有力政治家にアプローチをかけて各大臣賞等の褒賞を沢山獲得して運営している事等は・・・・・・以下省略・・

又、全菊連では、会議等の旅費も全て個人負担なのに対して、日本菊花会には各地に実行委員を置いていて、その会議の交通費等も現在は把握していないが、昔は支給されていました、それが災いしてか、横暴な実行委員が一部にはいて、花を出品したくとも実行委員が首を縦に振らなければ出品出来ないと言う弊害もあります、・・・・・
私も過去に2回出品をして2個ほど大きなトロフィーを頂いた事がありますが、福島県では出品できず、茨城県の菊池さんに面倒を見てもらって、自分で日立まで花を運んでの出品でした。

一昨年だったか、私と同じ県のよもちゃんが出品を決意して実行委員に願い出たが、断られたといいます、その実行委員は来年には90歳になる長老でもあります、少しでも美味しい利権?は何歳になっても後進に道は譲れないと言う事でしょうか・・・・(笑)

話は横道にそれましたが、全菊連の場合、毎年の全国大会は各地の持ち回りで開く事もあり、本部には専属のスタッフがいない(事務員のお姉さんは一人いるが)事もあり、全国大会を開催する主催地の負担と苦労は、昨年の赤星君の日記から伝わるが、更にその何十倍、何百倍も大変であろうことは容易に想像できる。

それは、大会に必要な文書作成などでも、本部にしっかりとした電子化された雛形があれば、それを使って、ずいぶんと手間を省く事ができるのだが、菊を栽培している会員が必ずしもパソコンが使えるかと言うと、反対に使える人が実行委員に全くいないことのほうが多いと思われる、それは過去の大会の審査表を見てみると良く解る・・・・・
審査表は現在は出品者に賞品等と一緒に送られてくるのだが、昔は次の日の朝に賞品と賞状と一緒にホテルに届けられていた、一晩に全入賞者の賞状を書き、審査表を印刷するのであるからこの頃は地元の方々が寝ずに頑張って下さったのだろう・・・・当然審査表は審査員が審査後に記入した手書きのものをコピーしたものであった、・・・

これが12年前の36回富山県砺波大会からパソコンを使った活字で印刷されたものになった、主催された当時の砺波市の方々が電子化を進められたのだが、それのプログラムを次の大会から使っていただこうと本部に提案したが、それを辞退されたと砺波市の方が話していた事があった・・・・・その後、審査表だけは37回、38回大会とパソコンを使って活字化されたのだが39回の津島大会40回川越大会41回千葉大会・・と又、手書きに戻ってしまったのは残念な事である、途中43回横須賀大会等や昨年の宝塚大会は(赤星君の努力によって)きちんと活字での印刷ができた事は良かったが、パソコンオンチの私が言うのは可笑しいのだが、大会で使われる書類の雛形はエクセルで保管管理して大会ごとに、一部手直しをすれば良いように思われる・・・いや、と思うのだが・・・・

長い文章になってしまったので明日、続きを書きます

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i0 i1 i2 (1) 全菊連を立て直す一助になればと、ドーム菊を植えなおす。
(2) 株元から離れた所のウド芽は1本ずつ切り離した。
(3) ウド芽は5号鉢に4本ずつ仮植えして置いた。
 
 植える花夢・新たな菊作りに夢中
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