私が世界一や日本一が好きなわけ
2010/07/29 (木)

日記仲間で私程日記の中に世界一や日本一と言う文字を使う人はいないでしょう、・・・・・
これって日記仲間の世界の中では「世界一?」(笑)

科学技術が目覚しい発展を遂げたり、生物が大きく進化をするときには、大きな社会の変化や環境の変化に順応し生存競争に勝つ為だという見方がある、そして1つの新たな技術や進化が引き金になり更に大きな変化と発展を遂げる。

その科学技術の発展等は既存の技術に改良を加えての発展と、全く新たな発想と技術の開発に依る場合があるが後者の場合の方が大きな発展をすることが多い。

その例は身近な鉄道の発展の歴史でも明らかで、蒸気機関車から、電車、更にリニアーモーターと全く違う発想で進化している。

さて、菊作りにおいても大きく発展したものがある、鉢は三河鉢からプラスチックに・・・・乾燥肥料中心から液肥併用に・・・福助などは大変遅く挿して草丈を抑制したのが、Bナインの登場で早挿しで・・・・そして培養土も・・・・新たな優れた資材が次々に・・・・

しかし、栽培方法や菊の管理は?・・・・・・

この日記のようにインターネットで、沢山の方の情報が飛び込んでくるが、その情報に振り回されている方も多いのではないだろうか・・・・・

もっとも、発信源は、地域の展示会に出品する事を夢見ている初心者、県大会や市大会等で上位入選を毎年していて地域では名人の方や、全国レベルの大会に出品を目指している人、そしてそこで毎年のように上位入賞をしている人まで様々なのだ、が、・・・日記やホームページの良し悪しがその人の菊作りのレベルと比例しているわけでない事も多く、菊作りの初心者でも素晴らしいホームページを作り余りにもお粗末な情報を発信している場合も多い、・・・・

この際全国レベルの大会を目指すような方やすでに活躍している方は、ハンドルネームの他に御自分の名前等も少しずつ登場させて自分の書き込みにもある程度の責任を持つ心構えを示してはどうだろう・・・・。

ともかく、多くのこれから菊作りを頑張って見ようとしている方にとっては、余りにも沢山の情報が溢れているインターネットの中からどのレベルの人の情報を受け入れるかで大きな差がつく・・・・

これは、レベルの高い人の情報を・・・・と、言っているのではない、その逆である場合の方が多いし、自分よりもかけ離れた技術を持つ名人といわれる方の断片的な情報を基に、環境も、一つ一つの栽培技術も、資材も全く違うのに、その時その時の情報を方々から寄せ集めて菊を栽培をするのは自動車にプロペラやキャタピラー、更にジェットエンジン等を取り付ける様なもので、決して上手く行かず、上達は難しいだろうと考えている。

多くの情報を見聞きして、それを試験的に試される事は大変良い事なのだが、実際の主な栽培においては、出来れば多くの情報の中から自分の考え方や栽培の目標が近い1人の人の栽培方法を選んで、それが自分にとっては世界一のお手本と信じて、土作りや親株の管理から、挿し芽や苗作りまでなるべく同じ様に真似をして二〜三年金魚の糞(ちょっと例がまずいか?)のように後ろに着いていくようでないと本当の上達は無いと私は考えている。

一つの優れた技術を編み出してそれを使いこなして実績を上げるには多くの努力と忍耐が必要で、今年何人かの仲間たちが取り入れている「栽培途中でピンチをして育てる福助作り」も私が初めて取り入れてから34年程の月日が流れている、地元での実績と全国大会修善寺大会の帰り、初めて立ち寄った日比谷公園の展示会を見て「私でも優勝ができる」との思いから重陽会に入会して出品する機会をうかがい、出品した花(泉郷若水)が最優等に輝いたのが1980年(昭和55年)だった、この時期には福助はまだ会の審査だけで日比谷菊花連盟の審査は無かったのだが、その後、初めて日比谷菊花連盟の各会から最優秀花を持ち寄って戦ったのが3年後の1983年(昭和58年)だった、この年は国華光琳で重陽会を代表して他の会と戦ったが大臣賞を逃して2位の都観光連盟賞だった、大臣賞は次の年、1984年、国華創雲で頂く事になったが、この年は管物でも国華大行進が最高賞の都知事賞に輝いた。

更にこの年は、全国大会でも私の日記の頭に付いている大きな写真の福助の中の、競技花で大会大賞、福助管物国華花百合で高橋賞を獲得をした、ピンチ仕立て福助の絶頂期だった、しかし30年も経ってからその技術が日の目を見て広がりつつある事は嬉しい限りで、ぜひ作られた花が良い成績をあげられる事を願っている。

その後地元では各所で菊作りの指導を頼まれて私の作り方で作った福助は、私や仲間達が良い花が咲いたときだけ日比谷に持って行くようになったので、その後は最優等は全部で10個ぐらいしか取れないでだんだん日比谷に行く回数が減っていった、なんせ高速道路が整備されていない時代で、出品をするには朝の2時ごろ家を出て片道5時間も一般道路を走らなければ日比谷にたどり着けない時代だった。

現在の菊作りはとても楽である、必要な材料はほぼ買う事ができる、今年は私も油粕等は買い揃えたのだが、乾燥肥料は作らなかった、全部市販のものを使う、しかし自分で手塩に掛けて手作りをした物は思い入れが違う、それが結果にも繋がる様な気がする、私の場合、培養土や育て方が本や今までの常識と相当かけ離れている、しかし一般の作り方と比較して20年以上先頭(前)を走っていると思っている。

話は変るが、スポーツの世界も最先端の技術を競い合っていて、毎年レベルがアップして、大きな大会では世界新記録ラッシュも珍しくない、しかし世界で頂点に立つには、単に体を鍛え技に磨きを掛けるだけではたどり着けない世界だと考えている、まだ何処にもない画期的な方法や技を編み出して初めて成しえる物だと考えている、女子陸上短距離選手に、福島千里選手と言う人がいる、テレビの特集で見たのだがとても面白い人で、どんな事を考えて走るのですかと言うような問いに「ひーゅーっと」とか「スーッ」と答える人でとても面白いし、小柄な体で今まで誰も見たことの無いような走り方をする。

「アメンボ走法」とかで、今まで何処にもいなかった個性豊かな選手で、外国勢と互角に戦え10秒台の記録に到達する事が出来る最も近い位置にいる選手でもある・・・・まだ誰も成し遂げた事のない未知の世界にチャレンジして頑張りぬく事はスポーツでも菊作りでも大きなリスクを伴う挑戦でもある、福島千里選手には注目されるプレッシャーや重圧に負けないで頑張ってもらいたい・・・楽しみながら・・・・

世界一や日本一には、それを成し遂げる影にはとても大きな過酷なドラマがある・・・だから私は・・・・好き・・・・なん・・・・です。

福島千里選手はここ

i0 i1 i2 (1) 大安吉日なのでスプレー菊の挿し芽を行う

挿し芽用土は福助に使った物にクンタンを足して使い回しをしている。
(2) 私のスプレー菊の挿し穂は全て茎挿しで、芯が無い。

これも私独自の方法で葉齢理論からスプレー菊を筒状に花を沢山付ける方法はこれが最も良い方法なのです。
(3) 今日の福助  国華強大

写真の福助のストレート仕立ての国華強大はここ
の中の「日本一を目指す菊作り」2003年6月に掲載

 
 植える花夢・新たな菊作りに夢中
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