菊作りの設計図(計画表)
2007/03/13 (火)

書き込んだ時には150〜200人ほどがこの日記を見ていただいているので、初心者や菊をこれから作ろうと考えている方にも役立つ情報や菊にまつわるエピソードなどを今後はなるべく詳しくこの日記に書いて行こうと考えています。

《私の切花厚物の計画表 その1》

一昨年より作るのを止めた厚物の切花を今年は作るつもりでいる、昨年日記仲間のはまちゃんがホームページの中で紹介された兼六香菊の咲き出しの見事な写真を見て、厚物の切花を作りたくなったのです。

私が三十数年菊作りをしていて、最も衝撃を受けたのが、今から24〜5年前に、現在国華園の審査長をされている茨城県の菊地さんの菊を見たときだった。

その年は数年後に水戸で全菊連全国大会の開催を控えていて、7月上旬に関東地区の菊作り講習会が水戸で開催されることになり、私が審査に行っていた菊花会のメンバーの何名かが、日比谷の日本菊花協会会員で(私もお付き合いで奥さんの名前で会員になっていたのだが)、全菊連の茨城県の支部に所属していて、水戸に行くなら途中の日立の菊地さん(菊地さんも日比谷の日本菊花協会会員)の菊を見せていただこうということになった、当時菊地さんは全国大会で唯一2回も日本一(草庵朝夕で)に輝いていた方で雲の上の人のような存在だった、訪れた時には、9号鉢に定植が済んだあとで3鉢ずつ15〜20鉢並んでいる(45〜60鉢)の菊の栽培棚が5〜6列あった、目を引いたのは草丈が60センチと1番伸びている冨山の雲なのだが、しかし、茎がストローよりも細く葉も葉柄も含めても7〜8センチほどだった、他の菊たちも皆小さく貧弱に見えた、7〜8人いた菊友達も皆言葉を失っていた。

帰り際に、私に「又来て見みたら」と声をかけてくださった、私は初対面だったのだが、私のことを知っていたのだった、実はこのころ私は、日比谷の東京重陽会では福助で毎年のように上位入賞をしていて、時々奥さんの名前で同じ日比谷の日本菊花協会にも出品しているのをご存知だったのだ。


明日につづく






i0 i1 i2 (1) 本日の「国華越山」
(2) 本日の「兼六香菊」
(3) 本日の「金越山」
 
 植える花夢流・・・花と生活を楽しむ・・・
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