福助の管物の増し土
2005/09/09 (金)

先月の末に定植して、肥料も与えずに10日近く放っておいた福助の管物にアミノ有機とアドマイヤー粒剤をぱらぱらと撒き増し土をする。

写真の福助は「天女の名所」で、きっとこの菊での福助作りは全国でも私が一番栽培経験が多いと思われる。

現在このような状態でも11月には立派な花が咲く。

今から10年以上も前の平成7年、東京重陽会の第83回大会にこの花を出品した、展示会には第一回の切花の審査日である11月3日に出品しておいて、審査は11月7日に行うので、11月3日の出品時には、審査日の11月7日にぴったり咲いてくれるにはどのくらいの花を出品したらいいのか大変迷う物である。

一般に管物の場合、審査の4日前には七分咲きぐらいで出品するのが理想的なのだが、天女の名所は咲き出すと満開になるのが大変早い花である、それで花弁が七〜八本繰り出した状態の物を出品した。

出品した花は審査前に花直しをしなければレベルの高い審査で勝ち残れないので、私は6日の朝にその夜は都内に泊りがけで花直しをするために日比谷の会場に行った、しかし花は7分咲き、花の置いてある台はあまり日当たりがよくない場所だったので、花直しは後にして一番日当たりのよい位置に場所を移す、夕方になってもあまり花に変化はなかった、次の朝早めに会場に入って驚いた、花が二回りも大きく咲き進んでいるではないか。
早速丁寧に花直しをして、審査を迎えた、結果は最優等賞。

審査後、審査員の神奈川の遠藤さんからクレームが付く、「福助の花壇は数日前から見ていたがこの花は無かった」、他の審査員が「でも天女の名所の出品票が付いているぞ」、確かに2〜3日前に見てもこの花の大きな変化は予知できなかったはずで、遠藤さんのむきになった顔を見て、私は内心「してやったり」で顔がほころんでいた。

その後、東京重陽会、日本菊花協会、東京菊花会の代表花が集まっての、日比谷菊花連盟の審査でも、最高賞の都議会議長賞を受賞した。

ちなみに、その年、福助の厚物は、千葉の相川さんの「兼六黄菊」、ダルマの厚物も相川さんの「兼六黄菊」が、そして、ダルマの管は、遠藤さんの「国華花百合」がそれぞれ最高賞を受賞した。

その次の年の平成8年の審査でも、福助の管物は、私の「泉郷富水」が最高賞になり、福助の厚物は、千葉の相川さんの「兼六白菊」、ダルマの厚物も相川さんの「兼六香菊」が、そして、ダルマの管物も、遠藤さんの「国華花百合」がそれぞれ最高賞を受賞した。

その後は、地元の菊花会の展示会や、近くの菊花会の審査などで日程がかち合い一度も日比谷には出品していないが、何とか又出品出来る様にしたいと考えている。

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i0 i1 i2 (1) 増し土前の「天女の名所」。
(2) 余分な葉を落として、肥料を与え一握りほど増し土をする。
(3) 5号鉢の切花用の管物、新花「泉郷火山」。
 
 植える花夢・新たな菊作りに夢中
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