2010/10/14 (木)
昨夜は一晩中眠れなかった。ぼぅっとしてふらふら起き出した。今日は直子の祥月命日、丸3年たった。
一晩中直子のことを考えていたわけではなくて、どちらかと言えば母親がディケア2回目に無事に出かけるかどうかが気になっていた。 そのことからいろいろショウもないことが後から連想ゲームのように浮かんでは消えてとうとう夜明けになっていた。 明け方に新聞をそっと見始めた第2面に「香川景樹」という人の歌が載っていた。 ”子はなくてあるがやすしと思いけり ありてののちになきが悲しさ” 子に先立たれた親のかなしさを詠んだと解説にあった。 たしかに亡き子を静かに思っている良い歌ではあるけれど、ちょっと腹立たしかった。 これって男親・男性の歌だよね? 女親・女性って子に先立たれてこんな風には思わない。 先立たれて苦しく悲しいのは一緒だけれど、それでも一緒に暮らせた時間を思えばどうしてその子が”なくてあるがやすし=子が初めからいなかった方が心安らかだなんて思うだろうか。。。 心に思うことを上手く言葉で表せなかった直子とは言い合いもしたしキツイ言葉の応酬もしたけれど、それだけにお互い年を取ったらなんであんな行き違いや思い違いがあったのか話をする時間をいつかは持てるだろうとずっと思っていたから。。。
9時頃に、意外なほどすんなりとディケアの迎えの車に乗って出かけた母を見送ってホッとして直ぐに3人でお墓参りに行った。 お彼岸に上げた花がまだ色を残していた。 散り始めた木の葉をすこし片付けて、墓石を洗ったり草を取ったりしてお線香を上げて帰った。 あっけないものです。
でもいつ来ても直子はここにはいないと思ってしまう。悦子も絶対ここにはいないよ、いつも断言する。 いまでもお気に入りの吉祥寺の町中をふらふら歩っているんだろうなと悦子と話す。 私がうんと年を取って、もうすぐ歩けなくなるだろうとおもった頃に、もう一度だけあの町を訪ねてみたいと思っている。 その頃にあの町に行ったらハモニカ横町のどっかでひょっこり逢えるような気がしてならない。
そんな事思っている母親は”子はなくてあるがやすし〜〜”なんてぜーったい思わないんだからねっ! 有名歌人で秀歌なんだろけど、こんな歌なんてだ〜いきっらいだ!
5時近くに母が上機嫌で帰って来た。 やっと長寿センターの温泉に入れた。 車椅子に乗ったままで温泉に入って、身体も髪もきれいに洗って貰って大喜びでした。 明後日16日は契約の日ではないけれど、長寿センター・運動公園で秋の産業祭が賑やかに催されるので、お願いしてその日もディケアに行くことになった。 あんなに厭がっていたのがウソの様です。
|