今日は娘の初七日です。
2007/10/20 (土)

hare.gif 秋晴れの良い天気です。

    今日は二女直子の初七日でした。
    14日に東京・吉祥寺に姉と住んでいる二女の直子が「下肢深部静脈血栓」が原因の『右肺動脈塞栓症』で急逝してしまいました。
    享年33歳でした。
    2,3日前に足が少し上がりにくくて3度も転んだと姉に言っていたそうですが、その他には何らの前兆もなく、午後の1時頃まで姉と様々な話をし、来年5月に取ったコンサートのチケット受取などの話をしていたそうです。
    2時頃、隣室でおかしな声が聞こえたので姉が覗いたときはベッドの上で全身痙攣を起こしていました。
    すぐに救急車を呼んだのですが到着時にはもう意識が無く、すぐに三鷹の杏林大病院へ運ばれましたが、到着時には心拍・脳波とも停止状態で、1時間以上あらゆる救命措置をして頂きましたがついに心拍も脳波も戻る事がなかったと救命措置をされた担当医師が電話で伝えてくれました。
    その夜10時半には直子は病院の手配した搬送車で夫と家に戻って来ました。
    体はまだ暖かく頬も唇もピンクで今にも目を開けて”ただいま〜、こんばんのご飯はなに?”と言いそうな様子で。

    通夜、告別となにを思う余裕もなく別れの儀式は無情に進められ、今日はもう初七日となりました。
    母はただただ毎日を涙に明け暮れ、夫はぼんやりとTVを見ながら突然涙をこぼします。
    姉の悦子は異様に早口になり、聞かれもしないことを一気に喋りまくり、次には突然泣き叫ぶのです。あと10分自分が早く気づいたら直子は死なずにいたのではないかと。
    家の誰もがまだ夢ではないかと思う毎日です。

    私もいつかは体中の水分が全部涙になって吹き出てくるのではないかと思うのですが、今はただたいした感情の振れもなく夜は夢も見ることもなく眠り、朝になれば祭壇に水やご飯を供え、灯をともして線香をあげて日が過ぎていきます。

    今日は朝の10時ごろに直子の女子高校時代の友人がお焼香に来てくれました。
    連絡の電話は昨日姉が受けたので、うっかり人数を聞きそびれていましたが、若い方達なのでクッキーや紅茶を用意しておきました。
    約束の時間に見えたのは7人!可愛いお子さんを連れた方が一人で9人おいでになり、3,4人の用意をしていたので慌ててしまいました。
    皆さん午前中一杯、直子の話を沢山していってくれました。
    家では余り話もしないで部屋に籠もってラジカセ聞いていたのに、学校では弾けっぱなしで笑顔いっぱいな人気者だったという話に驚いてしまいました。
    中でも全員の一緒の直子の思い出は『直子のササミ弁当!』と7人一斉に笑ったのは同級生の間では有名な話らしく、昼になるとダッと購買に走って揚げたての鳥ササミ唐揚げやフライを必ず2本(おかずササミ&ご飯ササミだそうです)買って屋上で食べていたそうなのです。毎日々おなじササミ揚げを飽きもせずに食べていたそうで、そのために私が早起きして作った弁当は食べずにこっそり夜食にしていたらしいのです。
    それから全員周知の特技は「隠れウォークマン」。
    高校に入ってからなぜか髪を切らなくなって、いつも半端な長さにしてあったので、何度もキチンと切るように言ったのですが、まさかその髪の毛が授業中に聞くウォークマンのイヤフォンを隠すためだったとは考えも付きませんでした。
    脇の下を通して巧みに髪でカムフラージュして耳に持っていったらしいのです。
    どうりで何度いっても絶対に切らなかった訳でした。
    夕食を食べない、髪は伸ばしっぱなしと、どちらも私にとっては結構気になって小言のタネだったのに、余りにもアッケラカンとしたネタバレに呆れてしまいました。
    若いみんなの泣き笑い声に私もつられて泣き笑いでした。
    高校で友人もいなくて教室の隅で一人で本を読んでいるのかと本当に心配だったのですが、それはとんだ杞憂だった訳で「そうか、”うちづら”悪かっただけなんだ」とホッとしました。
    学校のことなどなにも話さなかった娘だったので、良いお友達に沢山恵まれて楽しい学校生活だったんだと安心しました。


 
karinoの家庭菜園作業メモ
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