友達の処へ・・・
2006/11/14 (火)

hare.gif 今日は野菜持参で、久しぶりに友達とお喋りした。
40代にパートに出ていた頃に知り合った、少し年下のYさん。もう一人もYさんなんだな(^_^)
年下なのになぜか二人ともお姉さんの様に思えるのよね。
私の友達ってそういうタイプの人が多い。
一人っ子だったせいかもね。
若い頃は本さえあれば一人で平気だったので、そのころの友達はいないのだが、40代で外に出始めてからは何人も素敵な友達が出来てなが〜くお付き合いさせてもらっている。
Yさんにも呼ぶときは「Y姉さん!」そう呼んでもぜんぜん気にしない人。おっとりしていて頼りになる。同じ町に住んでるのに逢うのは年に4,5回くらい。もう一人のYさんは、失くなったご主人の会社でまだお勤めしている。
お互いあんまり家には行かないで、近所のファミレスで食べながらお喋りする。私は菜園、Yさん達はパッチワーク、お互い趣味は違っているが、時々お互いの「作品」を交換して楽しんでいる。
お勤めのYさんはの作品はプロ級で玄関に以前作った大作が飾ってある。
片方のYさんはその影響でパッチワークを始めたとのこと。
私もとても興味があって、材料など集めていたので、冬になって菜園が暇になったら集まってパッチワーク作りでもしようかと話し合っている。
こんな映画、少し前にあったですよね?

元は3人とも同じ職場だったから話は合う。
だから友達の旦那とか、子供さんには面識がない。
これって変わってるかなぁ?

別の友達は建築関係の友達。地域の職業訓練センターで知り合い、土曜日半日、2年間一緒に建築の勉強をした。
ここも私が一番年上。
若い人達と一緒に必死で図面描きを習った。
本来、向上訓練なのだが、バブルの最中で、若い人は忙しくて集まりが悪い。
で、家業が建築関係なら私のような全くの素人も入れてくれた。背中を押した亭主の一言「40から建築士目指すなんて無理だよ。引退する年だよ」
”な、なぬぅ〜”と、俄然反骨精神(平たく言えば、単なる天の邪鬼ですが・・・)に火がついてその日のうちに駆け込んだ。
行ってみれば、なるほど納得。周りの設計事務所や建築会社から来ている若〜いおねんさんやお兄さんがすいすいと図面を引くのに鉛筆さえつかえない・・・情けない(; ;)
必死で勉強。追いつけ、追い越せ!
ま、追いついたのは「年」だけですが・・・
あ、年は元々上だったか!フォフォフォ・・ヽ(^O^)ゝ
でも、2年間とても楽しかった!一度も欠席無しで皆勤賞もらった!
あ、卒業テストもあったんですよ。時間が足りない人は卒業出来ない。若い人は2月になると補修受けてました。

その後、パートを辞めて、職安経由で県都・宇都宮の訓練センターでCADを習った。今ではもう入れないが、やはり若い人不足で奇跡のように入れたのよ。ほんとにラッキー(^o^)

訓練センターの2年間で私に手書きは絶対無理だとよ〜く判ったのよ。
だからCAD。46歳、コンピューターと初対面でした。
家人には事後承諾。あっきれかえる母親と婿殿。
でも二人とも止めなかった。まあ、止めたら家出するかも、と思ったかも。黙認ですね。
そこでも若い人達の同級生。卒業してから結婚式にお呼ばれしたことがあるが、席次は「クラスメイト」の席だった。
嬉しく、照れくさく、誇らしい日でした。
在校中に図々しくも建築士の試験を受けた。
もちろん落ちた。
で、またまた反骨・・・いや、天の邪鬼ごむくむくと頭を持ち上げて勉強です。夕飯は7時までに終了。「看板です!」宣言。毎日々々、11時まで図面引き。
で、また落ちる。
学科2回、製図2回。一緒の仲間が段々減るのよ。焦ったね。
3年目でなんとか合格。そのころは鉄骨会社で、目の玉飛び出るような値段のCADで施工図を描いていた。(いや、私じゃなくて、CADが描いていたのよね。私、単なるオペレーターです)
こっそり受けたが業界紙でばれてしまい、会社で祝ってもらい、昇給があり、嬉しかった〜(^_^)
毎晩残業9時までで、超キツかったけれど、あんなに充実した日々はわたしの人生にはなかったなぁ。
結構”仕事人間”なんですよ。わたし(^O^)
こんなおば・・・ぁさんでも需要があった、思えばバブルも悪くなかった。 今は遠いねぇ〜〜〜

地域訓練センターの友達は、今、別の仕事に就いてしまい、疎遠になってしまっている。たまに電話で話すくらいだ。

友達のこと書き始まったら、20年近くの話になっちゃたよ!
あ、これ書いていたら逢いたくなっちゃったなぁ〜。


 
karinoの家庭菜園作業メモ
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