2017/10/10 (火)
□10:30〜勤労会館 千葉周作を講談で語る
松戸に在住したことがあるという講談師・桃川鶴丸氏が演じる「剣豪を講談で語る」。 講談そのものは、正直言って…(^ω^)だったが、前段の講談界の話が聴けたのがよかった。
歴史本の読み聞かせが講談の始まり。 江戸の主な流派には、一龍齋、神田、田辺、宝井、桃川流などがある。 所属協会には講談協会と日本講談協会があり、神田紅が独立し日本講談協会を立ち上げた。 流派の師匠が亡くなると、その一門はなくなる。氏は元は田辺一鶴の弟子であったが、 師匠が亡くなったのち田辺鶴女が百川派を立ち上げ、氏はその一門となった。 釈台の前に座り講談を演じる時に使うのが、張り扇と拍子木。眠っている客を起起こすこすときに使う(うそですよ)。
講談を本にし、大もうけしたのが「講談社」。嘘のような話だが、これは本当のよう?
さてさて、肝心の講談の話筋。
松戸に松龍寺というお寺がある。松戸領主の高木氏の菩提である。 高木広正は早くから家康に仕え、1572年の三方原合戦では、 退却する家康の馬が銃弾で倒れ、すぐに自分の馬を差し出して助けたという逸話も残っている。 その松龍寺の門前に一刀流・伊藤一刀斎の弟子・小野忠明がいた。 やがて、忠明は剣の頭角を現し、兄弟子の小野善鬼と1,2を争うようになった。 忠明は、兄弟子であるその善鬼を倒すまでになり、将軍家指南役として迎えられる。 指南役にはもう一人、柳生宗矩がいた。
という話。
伊藤一刀斎の流れを汲むのが中西一刀流であり、浅利道場であった。その浅利道場に周作が通っていた。
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(3) 唯一の百貨店・伊勢丹が撤退するというニュースに、女房どのや娘が涙している。 後方に写っている建物のふもとに伊勢丹がある。 松戸に来たころは、この円型部分はニューオータニの回転レストランだった。 どんどん、寂れて柏との差が広がる一方?
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