山婆ぁばに連れられて…。
2017/01/07 (土)

harenotikumori.gif □鋸山&保田水仙ロード

昨年暮れの蕎麦打ち時に、保田の水仙が話題にあがったので、「水仙見たいね」と言ったばっかりに…。
山婆ぁばが段取りをしてくれて、それについて行く。が、その水仙の前に鋸山と日本寺。

山婆ぁばに連れられての山登りは3回目だが、初めて天気に恵まれた。
「地球が丸く見える展望台」というのがあるのだが、そこへの最後の階段がとてつもない難関だった。
45度以上はあろうかと思われる石段に、その一つ一つが高い。
短い足が上がらずに、這って登ろうかと思うくらいで…。
下りてくるすれ違いの人からは、
「ここが最後ですよ。この上にはすばらしい景色が待ってますよ〜」と勇気づけられる。
やや雲がかかってたものの、展望台からは東京湾とかすかに富士山が。
久里浜と金谷があんなに近いんや、と。

で、佐倉にある国立歴史民俗博物館の元先生の話も頷ける。

昔の国名は、都に近いところから、「前、中、後」「上、中、下」などと呼ばれるが、
房総半島においては、北総地域が下総の国であり、南総地域が上総の国、安房の国となっている。
都から近いと思われる北総地域が下総の国なのである。
これはその昔、東海道は三浦半島の速水から、船で東京湾を渡り、
房総半島の中ほど、富津岬に通じていたのではないかということだ。
だから、そこが上総の国であり、その先、湾岸の北側あたりは下総となる、らしい。
そのころ武蔵の国は東山道に属していたから、東海道は武蔵国には通じていなかった、ということだ。
江戸が街らしくなったのは家康が入ってからで、それ以前は、ただの野っ原と湿地帯だった、という話も聞く。







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蘖ひこばえの菜園作業メモ
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